―文明の後に砂漠が残る―

 近年になって、重大な問題が生じて来た。それは森を求めて東進西進して来た。人類文明が遂にユーラシア大陸の「最果ての地」の日本列島と北西ヨーロッパに於ては、人類文明の「揺籃」である「天然の森」を完全に抹消し尽くしている事を意味している。これに対し日本では、天然の森はつい最近に至るまで残されていた。それが、明治維新の文明化以降の西洋文明の導入に依って、急速に失われるようになった。就中、戦後に於ける西洋流の工業化・都市化文明の受け入れに依って、貴重な天然森林はその犠牲となって、日本からも次々と姿を消し、現在も尚破壊されつゝある。日本に於ても人類文明も揺籃の森である「天然の森」は、刻一刻と抹消されつゝある。ユーラシア大陸の森を求めて、東進して行き止まりとなった。日本文明の喪失は即ち森の文明、東洋文明の喪失は又、東西文明の交代を無くして、人類文明そのものゝ聖域を意味する年になるという事であり、由々しい問題である。と、いう事である。

 寺田寅彦に依れば、日本人の自然観は、『自然の神秘とその威力を知る事が深ければ深い程、人間は自然に対して従順となり、自然に逆らう代わりに自然を師として学び、自然自身の太古以来の経験を我が物として、自然の環境に適するよう努めるであろう』と、謂う事になる。而も東洋人の自然観は、特に中国の老荘の自然観に依って、更に鮮明なものとされる。西洋文明は「直線の思想」の下に、行き着く所まで自然を徹底的に利用する「自然破壊型精神文明」へ、東洋文明は「内の思想」の下に何時までも自然と共生する「自然型親和型物質文明」へと発展してゆく事になる。キリスト教の下では、人は神の創造されたものを「知識」を使って理解し、近代から「科学」が生まれ、その科学を背景に、現代西洋科学文明が栄える事になった。故に、キリスト教に源を発する文明では科学が発達し、それが技術と結び付いて自然を支配し、自然破壊型の物質文明の道を歩む事になった。これに対し仏教では、人は言葉を使うから悩むのであり、人が悩まない為には、何も言わずに自然の摂理に適応し、「冥々」となれば良いと謂う事になる。と、言う事であろう。故に、仏教に源を発した東洋文明は、自然順応型、自然共生型の精神文明の道を歩む事になった。

 太陽系で只一つの神秘は、緑の惑星「地球」が、漆黒の大宇宙で燦然と輝きながら、悠久の時を刻んでいると謂う事実である。その緑の地球上に人間を含めて、無数(一説には500万種)の生物が四つの遺伝情報に依って微妙に連ね合い、宇宙法則の下に輪廻の世界(所謂、生態系)を形成し、幾多の生命を息吹かせている。就中、森林はその生態系の一つの重要な構成要素(バイオアス)として、生物の生活を支配しているばかりか、酸素の供給を通じて、地球の肺臓の役割をも果たしている。而も、このような貴重な生命の里、母なる地球が今や、人類に拠って凄まじい勢いで破壊されつゝある。 

 因みに、此の地球上で一番多く生息しているのは「蟻」であると謂う。その数は驚く勿れ〝2京匹〟だと云われているのだが、確かに蟻は山中でも庭先でも都会の真ん中でも、目を凝らして見ると何処にでも居る。そして、女王蟻を中心に役割が決まっていて、人間の世界よりも統制が取れて整然としたコロニーを形成している。而も、一列になって行き帰り巣に餌を運ぶ時は、必ずお互い接触して、挨拶を交わしている。興味は尽きない生き物だ。上記したように、数百万種にも及ぶ地球上のこの妙なる連鎖、それ故輪廻転生の環が、現在の西洋工業化文明に依って破壊されようとしている。

 それは、将に自然収奪型・自然破壊型の物欲文明としての、西洋工業に由って齎された当然の帰結と云えよう。つまり現在の〝西洋物欲文明〟を支える化学工業は、その目的(人類の幸福への貢献)を忘れて、手段(物欲)に走り資源収奪型文明を創造して、自然を破壊し、人類をも含めたあらゆる生物の生活を脅かし、地球崩壊の危機を齎そうとしている。世界有数の工業国日本は、東洋の国であり乍ら、東洋思想を忘却して西洋物欲文明に追従し、事もあろうに自然破壊の先頭に立ち、地球崩壊の危機に最も大きく加担している。然るに、日本が今後も尚、この様な西洋(欧米)の後を追随するならば、日本は東洋精神文明国であり乍ら、近い将来その衰亡(共倒れ)が予想される。依って、西洋物質文明と運命を共にする事に成り兼ねないであろう。この掛け替えのない美しい生命の星、地球を救う為にも、本来「森の民」であるべき日本人が、一早く本来の東洋思想に立ち返り、自然との共生を目指す、東洋精神文明の再建・改善への先頭に立たなければならない。と、思考するものである。

『アメリカの人口は、世界の5%であるが、麻薬の消費量は、世界の50%である』

現代西洋文明の崩壊の原因は、遠くはキリスト教思想に、近くはデカルト及びカントの思想に求められよう。何故ならキリスト教では神が人間に自然支配の権利を与えたことによって、人間の飽くなき「自然収奪の欲望」を評した事、又デカルト思想では、この世を精神(神)と物質に分ける二元論によって、自然を単なる物質と見做して、その物質のみを対象とする科学、それ故「神なき科学」を派生させた事、更にカントの思想では、そのヒューマニズムによって、合理主義の遠因を作り、自然から「神性を剥ぎ取った」ことなどによって、それ――神と離れた「人間中心の物質文明」を誕生させた事などが、現代西洋文明の崩壊の原因と考えられるのである。

何故、覇権国の大国は、覇権の後にその競争に敗北するのか。それは、熾烈な競争を勝ち抜いて大帝国を築いた。大国は、その限りなく膨張する派遣によって、得られる利益を防衛する為に、限りなく費用を要し、遂に財政的に破綻を来すことに、なったからであるとする。ケネディは、十六世紀末以降の世界史五百年の中で、立ち現れた大国のスペインやイギリスやアメリカ等の、大国の歩みを経済の成長と軍事費の増大との関連で分析し、軍事費の増大こそが国家を衰退に還る要因であると結論し、それを論拠に今後アメリカは必ず衰退に向かうと予見した。

 

 「文明は、人為によって興亡する」との、従来の西洋科学的史観に立った発想で、宇宙法則としての東西の周期的交代を、不可解西洋人的知(右脳的発想)によるものと考える。即ち東西文明の周期交代は、宇宙エネルギー・リズムによるもので、それは、人為を遥かに超えた処にある。即、宇宙エネルギーが西洋文明から、東洋精神文明へと姿を変えた時に始めて、東洋人間的知(右脳的発想)に依る東西文明が、創造されるものと考える。

能く言われるように、日本が先陣を切り、それにNIE8の国々が続き、その後にASEANの国が続くとされているが、このアジアの飛行を下から大きな上昇気流で支えて、高い大飛行とするのが中国であろうと予想する。此のアジアの巨像がやがてアジア経済のみならず、東洋文明波へと発展させる事は間違いない。東洋文明の時代は今や目前にある。将に、新世紀は〝光は東より〟である。

二十世紀の後半と二十一世紀の前半は、東西文明の交代期それ故、西洋物質文明の衰退期と、東洋精神文明の黎明期であるから、西洋物質文明のエネルギーが東洋精神文明へ移行しつゝある段階である。又「物の重視よりは心の重視」かと謂う、古来からの東洋精神の風潮が、次第に世界的な傾向となりつゝある。「万類共尊の思想」――(各人種、各文明は相互に代え難い存在なるが故に尊く、それ故にこそ、「その長短は問われても、その優劣(不等価性)は問われてはならない」という「共存互恵」にある。

嘗て、140年前に、始めて日本人の訪米使節団が、ニューヨーク入りをしたが、詩人のホイットマンは、当時の模様を次の様に語っている。即ち、「西の海を越えて日本からやって来た、礼儀正しい浅黒い二本差しの使節たち…冷静な顔をして、今はマンハッタンを行く…」当時の日本人は貧しく、近代知識にも乏しく、技術に遅れていたが、高潔で異文化を前にして堂々としていた。思うにそれは当時の日本国民が誇りを持ち、恥を知り、虚像と卑怯を、最も餞ましいと感じていたからであろう。明治初期には、今だそのような良い意味でも武士道の精神が残っていた。

それに引き換え、現今の日本の政治家の破廉恥な所業には、目を覆いたくなるものがある。誇りを失い、恥を知る心を失い、名誉を重んじる心をも失った。日本の政治家ほど醜悪な心をした政治家は余り居なかったのではなかろうか。併し、一方では『国家は、その国民に応じた政治家しか持てない』とも言われている故に、それが真実であれば、明治初期の日本国民に比べて、物質的に遥かに豊かに成り、しかも高度な科学知識を身に付けた、現在の日本国民の方が精神的に遥かに貧しいと謂う事と、定通している事になろう。『その国の政治の有り様は、その国民のレベルに合わせたものしかない』…と断言出来るし、在る国の文明は、その民族の「心の象徴」とも云えよう。

故に、そうであれば、日本人が来るべき東洋文明の先陣の栄に浴する為には、日本人自身が「美しい民族の心」に立ち帰り、世界の人々から信頼され、敬愛されるような、高潔で優雅で而も堂々とした、日本人に生まれ変わらなければならない。それに依って始めて、日本文明にも東洋文明の先陣を務め、引いては〝世界文明〟をリードするのに応じて、立場を与えられるのではなかろうか。

現代西洋文明は、科学技術なかんずく、工業技術と経済の面で、人類史上最大の進歩を遂げ、それに依って、史上嘗てない物質的豊かさを人類に齎した。この偉大なる人類への貢献は特記されて、後世の歴史に永遠に残るであろう。併し、それと引き換え精神面での貢献は、少なかったように思われる。とすれば次代の文明を担うべき未来東洋文明のあるべき姿、それ故「文明興亡の法則」に基づく、人類未来への選択として、「人類文明への未来像」は如何にあるべきであろうか。

(43 43' 23)

國乃礎 鹿児島県総連合会

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