『人法地、地法天、天法道、道法自然』

 地上にあって、その地を規範として、始めて生存できるし、その地は天を規範として、始めて存在し、その天は天道を規範として、運行し、その天道は、自然の法に依って支配されている」と謂ふ事である。結局人は自然を規範とし、その「自然の法」に従う以外に生きる道はないと謂う事である。即ち老子は、人類は「自然を規範」とし「自然に学ぶ」それ故「宇宙の法則に従う」事に依って、始めて未来永劫に渡って生存する事が出来ると説いているのである。この老子の哲学こそ「文明論の理念」であり、人類が「自然の則」即ち「宇宙の法則」を無視し、人間の知識のみを万能として生み出した。

 従来の歴史観・文明観には、問題はないが、つまり「人類の文明は人類が存在する限り、それに随伴して必然的に起こる、宇宙の法則の一部であり、其処に潜む法則性を史的に解明するのが、文明論である」この老子の虚無自然の哲学(その謙虚さ)こそが、新しい世界(ニュパラダイム)を切り開く、動因となるのではないだろうか。因みに、植物には地上の見える部分がある以上、それを生かす地下の見えない部分が、必ずある筈である。この様に宇宙は全て「見える宇宙」と「見えない宇宙」、それ故「見える世界」と「見えない世界」の二極対立から成っているが、東西文明の周期交代が、史実(見える世界)に依って検証される以上、その背後に必ずそれを支配する[見えない世界]がある筈である。

 その「隠された世界」こそが、宇宙法則としての「二極対立型周期交代の法則」(エネルギー移動の法則と保存の法則及びエントロピーの法則)である。本書の意図は将にこの「隠された世界」への挑戦であり、それに依って初めて新しい文明と、それに基づくニュパラダイムが開かれるのではなかろうか。之は、わが師戸松慶議が若き頃四人の神道学者(今泉定助・筧克彦 ・作田荘一・磯部忠正)に師事された時、その中で一番優れていたであろう、作田荘一氏の説かれた「世界は、現実界と隠実界から成り立っていると謂う説と一致する。それは、現実界には空間あり、時間あり、形象あり、生成あり、これらを具備するのが、現実世界と呼ばれているが、それらが全く知れないで現実世界の奥に隠れて実在していると、信ぜられている世界が即ち、〝隠実界〟と呼ばれるのである。

 神(宇宙の法則)を排除した、デカルト流の現代科学は、神なきに生物主義的な「物質科学」それ故、云わば「物理指向的科学」であった。併し、これは既に限界が見えて来た。故にこれからの科学は、宇宙の法則を大前提に「生命」を取り入れた。「生命科学」、云わば「生物科学的科学」へと、大きく転換して行かなければならない。何故ならば、現代科学の最先端を行く電子工学では、デカルト流に生物を構成する「四つの分子」にまで行き着いたが、それでも尚「生きている状態」を解明する事は出来なかった。この様に生きている状態、即ち「生命」は、これまでの神なき物質の物理的思考的科学では、解明出来ない事が、次第に明らかになって来た。そして現代科学が進歩すればする程、益々明らかになったのである。

 人類はデカルト以来、「神なき物質科学」を追求し続けて来た。その結果、近代科学は非常な発展を遂げ、遂には核兵器まで創り出す事に成功したが、それに依って「地球滅亡の危機」は、益々深刻且より現実的なものとなり、人類にとって幸福は却って、遠のきつゝあるように思われる。量子学に依れば物質の根元である原子は、陽子を中心に回る電子に依って、構成されているが、その陽子と電子を結び付けているのが、エネルギーであるとすれば、此の世は全てエネルギーの様々な、表現形態に過ぎない事になるからである。故に、それが人間の目に見える形をとっているのが、電波や光波等であると考えれば、「生命現象」又、有形・無形の姿をとった、宇宙エネルギー一つの表現形態に過ぎない」と謂う事になろう。つまり物質と云い、生命と云い、又両者が結合した社会現象(文明もその一つ)と云い、其の窮理の姿は「宇宙エネルギー」と考えて良かろう。

 因みに最近の知見では、宇宙の質量の裡物質の構成要素の「陽子・中性子」が占める割合は、僅か5%に過ぎず、残りの25%は暗黒物質であり、70%は暗黒エネルギー(ダークマター)であると謂う。更に、二極対立一方の文明が、そのエネルギーを使い果たす時、そのエネルギーが地方の文明に移行して、新しい文明が創造され、その繰り返しに依って文明は永続する。その際、そのエネルギーを使い尽くす期間が、因みに東西文明では、それぞれ交代期間を含めて、約800年間という事である。又、気象条件が特に悪い赤道直下や極寒地には、嘗て文明の栄えた試しも無いことからも十分傍証される。

 21世紀以後の、800年間の高調期の東洋文明は、科学と哲学・宗教と芸術とが、三位一体化したより高次元への文明へと、進化するものと予見されるし、又、宇宙進化の法則からも必ずそうなると考えるからである。然るに、過去の人類文明は原始エジプト文明→古代メソポタミア文明→エジプト・エーゲ文明→古代アジア文明→ギリシア・ローマ文明→アジア極東文明→ヨーロッパ文明と、一つの文明リズムを繰り返す毎に格段の進化を遂げているからである。森林こそ将に「人類の揺籃」「文明の揺籃」と云って好かろう。言葉を変えて言えば、母なる森林を破壊し、砂漠した時、人の生命は尽き、「文明」も又、消え去ることになる。特に「文明の前に森林があり、文明の後に砂漠が残る」と謂う事である。

(43 43' 23)

國乃礎 鹿児島県総連合会

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