11)人類文明の止揚

 愈々、最終章に近づいて来たのだが、又、此処は「花泥棒と真理泥棒は、大目に見られる」と謂う事で、岸根卓郎氏の『文明論』(東洋経済新報社刊)は米中から注目を集め、内外からも絶賛を博し、反響を呼んだ話題の書から抜粋さして戴く事をお許し願って、進め度いと思います。

 冒頭から根岸教授は、「来るべき二十一世紀は、間違いなく西洋文明の落日残照期、東洋文明の黎明・輝照期を予言できる」と断言し、「文明興亡の法則」に基づき、予見される来るべき東西文明の交代は、自然対決型・自然収奪型・自然破壊型の父性型物質文明から、自然順応型・自然循環型・共生型の母性型、所謂精神文明(霊性文明)への転換移行を意味し、それに依って始めて、現下の地球危機・人類の危機は救われ、それ故、人類文明も又永続する事が出来る」と喝破される。之を以って、文明研究の究極的目的はつまるところ、人類文明に見る二極対立型、周囲交代の宇宙の法則、それ故「文明興亡の法則」の研究に尽きるという事になろう。茲に本書の書名を以って『文明論――文明興亡の法則』とした所以である。

 現代になって、再び宇宙と人間との関係は、デカルトの云うような人間は、宇宙の外に立つ認識主体(観察者)ではなく、寧ろ宇宙の中に包み込まれた一部であるとの「新しい宇宙論」を生むようになって来た。従ってこのような新しい宇宙論に立てば、其処に西洋の科学的世界観と東洋の精神的世界観との調和の新しい道。即ち〝ニュパラダイム〟としての「新しい文明」への道が開かれるのではなかろうか、本当の文明論も又、将にこのような視座に立っての「新しい文明論」を指向しようとするものである。本書の意図は、特に「隠された世界」それ故「見えない宇宙」への挑戦であり、それによって新しい文明と、それに基づく〝ニュー・パラダイム〟が切り開かれるのではないだろうか。而して究極の目的は、西洋科学的史観に立つ既存の文明論とは、別の「新しい文明論」の創造にある。

 西洋文明は、所謂、科学・技術文明であり、技術が経済生活と直結して、人間の物的生活を驚く程に豊かにし、而もそれは人間生活を支配するまでに、強大になって来たから「物質文明」と呼ばれるようになった。これに対し東洋文明は、その科学・技術が物的な経済生活とは直結せず、主としてそれが生活の段階に止って来たから「精神文明」と呼ばれるようになった。私は「人類文明は本質的には、時間と空間の間を流れる宇宙エネルギーリズムの人類を介する、一つの発現形態に過ぎない」との見解をとる。そして「人類文明は、人類が存在する限りそれに随伴して、必然的に起こる宇宙法則の一部であり、其処に潜む法則性を史的に解明するのが文明論である」との仮説をとる。そして、それらの宇宙法則は、人類を含めて地球上の〝森羅万象〟を悉く支配しており、為にそれら人類文明に於て、如何なる姿をとるかを見出す為の史学が、文明論であると考えるからである。

 依って、其処に存在する宇宙の法則性を史的に解明するのが、文明論という事になろう。つまり、人類文明はその姿を東西文明に交互に変え乍ら、その都度再生して新文明へと発展していくが、その際、其処に存在する宇宙の法則を史的に文明論という事になる。結局、本書では「文明論」を以下のように定義する事にある。即ち、『文明論とは、人類文明に於ける宇宙法則の発展の史学である』と。あらゆる個人は、正常な状態の下ではそのリズムが相互に周期せず、まち~に自由に行動しているが、大凶作とが大戦争のようなショックが加われば、一致団結して同じ行動をとる。これ迄の東西文明の周期の位相の転換は、この事を逆に立証しているのではなかろうか。史実に依れば八百年毎に必ず、大凶作とか大戦争などの地球規模での大動乱が起きているが、それは、契機で東西文明の何れかの振動の「位相」が一致して、東西文明の「大転換」が必ず正確に起こるのか、それを見事に実証している。

 これからの、学問・教育・及びそれに基づく社会的価値観は、人間生態論的・精神論的・全包括論的・直観的に価値判断する。それ故、右脳の働きをも、より高く評価するように、進歩して行かねばならない。と、考える。故に、これら科学者に勇気を持って自身の驚きや感動や直観、更には自身の数学や宗教性についても「全人格的」に大いに悟り、広く世間の批判を仰ぐべきであろうし、その様な科学者や研究者を育成する学問の教育こそが、次代の「新しい文明」それ故〝ニュパラダイム〟に繋がる「真の學問」「真の教育」である。西洋文明では、人間の科学とは「分裂」し、人間は対象に距離を置いて(それ故、人間感情を極力排除して)全てを客観視する事を以て、科学的であるとして来た。併しこれからは、人間が中心になって対象を客観視すると謂うのではなく、有りの侭に〔それ故感動をもって〕真理を追究するというのが「真の学問」、「真の教育」の教育の在り方という事になる。

 そして、その様な方向を志向する文明こそが、右脳型文明としての東洋文明でなければならない、と私は考える。つまり東洋人は、「東洋流の右脳型教育」を指向して始めて、その特性を発揮し、真の〝東洋文明〟を創造する事が出来、人類文明を貢献する事が出来ると謂う事である。此れ迄の「追い付け物真似型」の知識偏重の左脳型教育では、先進国についてもそれを追い抜く事が出来ない事が分って来た。つまり、日本左脳型教育には既に限界が見えて来たと云う事であり、その事は又明治以来主として、左脳型教育のみを追求して来た。文部省主導型の国立大学の使命にしても、限界が見えて来たという事ではなかろうか。つまり「教育の民営化」という事である。人類が如何に自由意志を行使したとしても、地球の公転や自転を変える事が出来ない様に、文明の周期も又、それを変える事は出来ないと謂う事である。これを要するに、宇宙の二極対立型周期交代の法則に支配された。「文明周期の法則」それ故「文明興亡の法則」も又、それ程「強い」と謂う事である。

 東洋人には、輪廻転生の思想に見るように、流転・循環の概念があるが、西洋人にはその様な概念がなく、直線の概念が強いように思われるのである。「自然界は放置すれば無秩序化する」更に言えば「永続するものは決してない」という法則であり、数ある物理法則の中でも、この法則のみは「絶対原理」とされている。如何なる文明も、その老年期にはエントロピーが増大して、必ず病理現象が現われて来る。因みに道徳の乱れや政治の腐敗、宗教の異様化など低俗化現象がそれである。その様な危機的な状態になって始めて、人類は革命を希望し選択する。即ち、新旧文明の交代が起こり、人類文明は革新され進化する。

(43 43' 23)

國乃礎 鹿児島県総連合会

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