10)マスコミ報道

 筆者は、サラリーマン時代、広告代理店の営業部に籍を置いていたのだが、広告会社と云っても、電通や博報堂といった華やかな会社ではない、至って地味な広告代理店だった。地味ではあるが、交通広告では、日本でトップクラスの会社で、全国八ヶ所の支社を含む四十ヶ所の営業所を擁していた。従業員も三百人程抱え、年間売り上げも三百億円/年間前後だったと記憶している。其処の営業マンとして、本社で十年ほど勤務し、晩年は鹿児島営業所の所長として赴任した。営業所は二十五人近くの規模で、全国でも中堅クラスの営業所だった。所が業績の方が全国の末端クラスで、何時営業所を畳んでも可笑しくない状態であった。其処で就任早々(三ヶ月)で手掛けなけばならなかったのは合理化・人員整理、今で云う態の良いリストラだったのである。

 其処で何回か早朝会議・幹部会議・全体会議を開いて、「この侭行けば、鹿児島営業所は沈没してしまう。就いては不本意ではあるが、何人か降りて貰わなければならない。こっちから指名するのは余りにも乱暴なので、此処は全員辞表を出して欲しい、私も書く」と言って、決行した。本社から専務と九州支社からは支社長が来て、筆者を含めて全員一人ひとり個人面接を実施した。「今だったら退職金を出せる」と謂う条件で、約半数の体制にしたのだが、翌朝支社長から「眼が赤いゾ」と指摘された。当時、営業所に自分の親に近い年齢の年寄りが居て、その夜床に就くと、その事が自分の父親と重なり、不憫で悲哀に暮れ涙が零れて仕方がなかったのである。

 最終的に新体制は、私を含め半数の十二名となり、事務所も同じビルの反対側の四階に移転したのだが、広さも約半分位の場所に引っ越した。固定費も今迄の半分で済んだのだが、売り上げが中々伸びず、支社長の特命で九州支社から応援部隊が、派遣される事になった。そして、支社長以下・熊本所長を含め十名近く来所した。所長も外に出て、熊本と鹿児島の競争となった。媒体は停留所の車内放送で、誰が最初の契約を決めるかで全員必死になった。偶々不肖がある大きな団地の寿司屋に飛び込み、タイミングよく成約になった。所謂、面目を果たしたのである。翌日は熊本の所長も契約を取り、お互い体面を果たしたのだが、思い通りの成績は上げられなかった。

 数日経過して、今度は本社命令で全国の営業所から二十名ばかりの精鋭が鹿児島に集められた。狭い事務所に入り切れんばかりの営業マンが招集された。支社長の朝礼の言葉にも力が入る。不肖も何時になく声を張り上げる。一週間ほどの日程で営業が展開されたのだが、此のイベントも決して成功したとは云えなかった。何が問題か、市場の問題か、営業能力の問題か、媒体効果の問題か、と色々考え悩んだ。全国の営業所には、会長と社長の顔写真が貼ってあり、社訓には「知恵のある者は知恵を出せ、知恵のない者は汗を出せ、知恵も汗も出さない者は辞表を出せ」とあるが、不肖はそれを真に受けた訳ではないが、それから半年後支社長に辞表を出した。

後任は、北海道から同世代の人物が赴任する事になった。その後、大手クライアントの引継ぎと、彼の住まい探しに明け暮れた。最後の送別会では、全所員に依る胴上げが始まった。生れて初めて胴上げをされて喜んで好いのか、途方に暮れたのは私だけでなく、新任の所長も支社長も呆気に取られたような顔をしていた。その後、鹿児島営業所は、新任の所長に依って業績を上げ、収支トン~に持っていったようだが、事務所を転々として、営業所から出張所に格下げされ、本社の方も会長(創業者)が亡くなって~縮小され、往年の勢いはなく萎ん行ったようである。筆者は、嘗ての営業所と建物を見る度に、「夏草や兵どもが夢の跡」をひしヒシと感じると同時に、一抹の淋しさを禁じ得ない。

閑話休題

 扨て、此処から本論に入ろう。我が国に於てマスメディアを仕切っているのは、ガリバーこと〝電通〟と言われているのだが、本来民放のテレビ局の後ろには新聞社が居て、その流れで現在広告料で賄っている所が殆んどである。然るにテレビ局ではNHKを除いて、民放の収益はCM放映料に依存して運営しているのが実態である。最近ネットでは有料配信をやっている所があるが、それは未だ一部の会社だけである。そこで此の度は「月刊日本」の中で『影の支配者・電通』より抜粋して公開したいと思う。

---電通を批判できなかったマスコミ---

 2,016年五月東京五輪招致委員会が、IOC(国際オリンピック委員会)の関係する口座に、二億三千万円を送金していた事実が明らかになり、カネで五輪を買ったのではないかと謂う疑惑が持ち上がった。この事件には電通が深く関与していたが、マスコミは電通の名前を伏せて報道していた。併し漸く電通の新入社員である、高橋まつりさんが疲労自殺した事を切っ掛けに、マスコミは同社の労働環境やパワハラ体質を報じるようになった。これまでごく一部を除き、マスコミが電通を批判的に取り上げる事はなかったのである。

 国民に正しい情報を伝える事を疎外している、電通という存在を今こそ徹底的に追及する必要がある。フランスのジャーナリストは「電通は、日本のメディアを支配しているのか?」と題する記事を発表した。そこでは、電通と博報堂が「広告・PR・メディアの監視を集中的に行い、国内外の大企業・自治体・政党或は、政府の危機管理を担当し、マーケットの70%を占有している。此の広告帝国が日本のメディアの論調を決定している。と批判する人々がいる」と、指摘されている。

 電通は、一貫して広告業界のガリバー的存在として君臨して来た。経産省の統計では、2,015年の国内広告業の売上高は5兆9249億円。このうち電通の売上高は1兆5601億円で、約26%のシェア握っている。電通は広告主の為に、テレビ・新聞・雑誌・交通広告等の広告枠を用意するだけではなく、広告の制作も行っている。更に、五輪を始めとする、イベント・PR・SP(セールスプロモーション)等を幅広く手掛けている。TVのゴールデンタイムスのスポンサーの割り振りを実質的にし切っているのは電通だ。依って、ゴールデンタイムスのCMを流したい広告主は、電通にお願いするしかないと謂う事だ。

 その結果、顧客に多くの大企業を抱え込んでいる電通は、テレビ番組の広告枠を「買切る」ことが出来る。これに因り、テレビ局に対して極めて大きな影響力を確保している。又電通は、大手新聞社、全国・地方テレビ局、その他、マスメディア関連会社に社長やトップクラスの役員を送り込んできた。メディアに対してこれ程の影響力を持っているからこそ電通は、不都合な記事を抑えたり、扱いを小さくしたりするだけの力を持っている。露骨な圧力を掛けなくてもメディアの側が自主抑制してしまう。原発報道はその典型的な事例だ。

 メディアに対する広告の力は、原発のみならず、安全保障や経済政策など、政府が進める政策に対する批判を、封じ込める役割を果たしている。小泉政権の郵政民営化を批判した森田実氏は、テレビ朝日の「報道ステーション」で、政権に対する厳しい批判を展開した。元経産官僚・古賀茂明氏、都知事選に出馬し、東京五輪批判を展開した上杉隆氏など、多くの評論家やジャーナリストが番組からの降板に追い込まれて来た。

 ところで、2,015年六月に自民党本部で開かれた、安倍首相に近い若手議員の勉強会「文化芸術懇話会」の初会合で、大西英男衆議院議員が驚くべき発言をしている。「マスコミを懲らしめるには、広告収入を無くするのが一番、……文化人、民間人が経団連に働き掛けて欲しい」此処には、広告の力に依ってメディアの報道が統制されてきた現実が、能く示されているのではないか。

(43 43' 23)

國乃礎 鹿児島県総連合会

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