9)国防・外交

 西郷南洲翁の「敬天愛人」は、表向きの言葉で、深奥には凄まじい言霊が散見されるのだが、外交に付いては次のような指摘がある。「外国との交渉に際しては、何処までも大道を踏んで正々堂々の態度を以て臨み、日本が敗れゝば自分も死ぬ覚悟で当たらなければ、対等の交渉は出来ない」と謂う事であり、続いて「談国事に及ぼし時、慨然として申されるは、「国が凌辱された時は、たとい国の運命を賭し、国と共に斃れても正道を踏み、正道を貫くのが本務である。然るに、平素の閣議で大官達が、財政や税金や農政の事を論議するのを聞いていると、大言壮語、如何なる英雄豪傑かと見えるが、血の出る事(軍事)に臨めば、鳩のように頭を集めて、只目前の安全を謀るのみ。戦いの一字をを恐れ、政府の本務を恐れたら、それは商法支配所と申すべきで、政府とは言えないのである」と。

「然るに政治家たるものは、戦場に臨む覚悟で、外国交渉をしなければならぬ。経済と算盤だけの政府は、抑々政府ではない。所謂、財界や商工会議所や工業倶楽部や労働組合が、政党と政府を左右しては国は亡びる。況して「非武装中立」等と謂ふ、世界のどの国にも通用しない痴人の夢を三思すべきである。西郷隆盛は日本の危機に地霊の如く姿を現し、心ある日本人に正しい方向を指示して静かに立ち去る。『遺訓』を心読して最も興味深く、最も心躍る時代は現在ではなかろうか。今は一部の浮足立つ学者達の云うような日本の没落期ではない。空しい「繁栄」を乗り越えて、前進する真の復興期である。

 以上は、恐れ乍ら林房雄氏の「大西郷遺訓」からの一部抜粋したものである。

 今朝、北朝鮮が昨日に続いて二発の弾道ミサイルを日本のEEZ(排他的経済水域)外に打ち込んで来たのだが、朝から政府を中心に、マスメディアも「号外」まで出して慌てふためいている。本土に着弾した訳でもないのに、此の狼狽え振りを観ていると、情けなさを通り越して悲しくなる。「来るなら来い!」と、大和魂と尚武の精神で、一々過剰反応しないで周章狼狽しない事だ。大体一度でも本土に堕ちたことがあるのか?!一切無視して居れば良い。或る意味で、北朝鮮は愉快犯見たいなもので存外、ゲーム感覚でやって嘲笑っているやも知れない「あー、又エンピツを打ち上げたか」位に、頭を撫でてやれば良いのだ。

 道草は、これ位にして本論に入るが、筆者はこのブログでも常々、現下の日本は真の主権国家であろうか。と、説いて来た。先の大戦を知らぬ身であり乍ら、敢えて叱正を承知で筆を進めさして頂ければ、戦後七十八年も経過し乍ら、未だ主権国家ではない。半主権国家であり、半植民地で半独立国家である。依って主権と領地と独立を回復し、制空権と国土を取り戻す為の、気長な多様な忍耐強い努力を続けるしか、方法はないのか?その他に方策手立てはないのか。この日本に置かれている究極の問題を解決し得ない限り、何を論じても不毛であり、ナンセンス・陳腐・下劣・陳腐・幻想である事は否めない。要するに北海道から沖繩迄大小合わせて百三十一ヶ所の米軍基地が存在していると云うこと自体が、異常であり米国の属国であり保護領であると謂う証左に他ならない。

 上記のような不都合な問題点を、抉り出し炙り出して行きたいと思うのだが、先ず、情緒的に反米・嫌米を主張する事なく、この「世界新秩序」への機運の兆しが現われ、新時代へ移行する歴史的潮目の変わり目には、最早反米・嫌米ではなく、「脱米・離米」へと舵を切るべく舵を切り替えなければならない。と、志向するものである。戦後八十年近くも米国により呪縛されている現実を解き放さねば事は進まない。それが冒頭の〝脱米・離米〟である。それは徒に対立するものでなく、対等に付き合って行くと謂う事である。それには「日米合同委員会」から手を下さねばなるまい。

 先述したように、現在我が国に米軍の基地が大小含めて131ヶ所あると謂うのだが、そう謂う独立国家はこの地球上に存在しない。先般の安倍元首相の国葬に、米国のハリス副大統領は、米軍の横田基地に着陸し、ヘリで乗り込んで来た。非礼も甚だしい。日本の玄関口は成田及び羽田である。そして安倍元首相の国葬を裏で実際に取り仕切っていたのは、「日米合同委員会」で、日本側は磯崎・木原副官房長官で、彼等は米国側の要求を忠実に実行し、参加する国々のリストを決められて、式の流れも米国の許す範囲で取り纏めた。台湾を独立した台湾と呼び、中国側の反発を引き出す挑発に利用した。又安倍との縁の深いトランプ前大統領やプーチン大統領の列席は認めないと、米民主党(DS)に依る政治的意図を含む国葬だったと謂う。この様に我が国は、戦後横田幕府の顔色を伺い乍ら、その指示を仰いで来たのである。

 戦後七十八年間、如何に国民が不都合な情報や重要な決め事を〝密約〟という名の下に、国民に隠蔽されて来たかを推して知るべしである。国家とは、国民の一人ひとりに依って成り立っているのだ。国民全員が知る権利があるのは当然の事である。筆者はあらゆる機会を通じて、自論を展開して来たが何時も〝画竜点睛を欠く〟思いがしていた。所が、今回の安倍元首相の暗殺事件に於て、如何に自分を含めて日本国民が、無知で個人任せで生きて来た事実が明らかになり、当事者意識に欠けていたかを思い知らされた。

 平素、一般国民の関心・興味は、三Sに完全にガス抜きされ、米国の弱体化戦略が功を奏し、此処へ来て噴き出した感がある。それは、選挙投票率の低さに見られるように、大人から若者まで「来るべき日本の未来」担っている政治家への不信と無関心、興味があるのは大リーグの大谷選手の一挙手一投足・若手女子ゴルフ選手の事。そしてTVは、お笑い芸人の馬鹿笑いで憂さを晴らし、夜になるとカラオケでマイクの奪い合い、独りになった時はスマホでゲームに熱中し、最早多くの国民がこの生き辛くなった社会で、何の生きがいも見い出せず貴重な一生を、彷徨って歩いて人々が余りにも多い。

 それもこれも帰結する所は、日本政府の外交に付いても、国防とエネルギーや食糧や医療(特にコロナワクチン等は、原価が110円のモノが4320円で取引されている)についてさえ、重要な事を自己決定する権限を持たされていないし、アメリカの要求を出来る限り迅速且つ、忠実に現実化・物質化出来る政治家・官僚・学者・企業人・ジャーナリストだけが、国内の位階制の上位に就ける。そう謂う構造が七十八年掛けて出来上がってしまった。つまり、アメリカの国益を最優先的に配慮出来る人間しか、日本政治システムの管理運営に関われない。所謂、対米従属を徹底させる事に依って、対米従属を達成する。是は戦後七十八年間の国家目標を放棄したに等しい。然るに為政者達は、アメリカの虎の尾を踏む事を、恐れるようになってしまったのである。

 此処に、西郷南洲翁の言葉が光るのだ。『正道を踏み國を以て斃るゝの精神無くば、外国交際は全かるべからず』、この言葉は真に至言である。所が日本の現状を鑑みると、未だにアメリカに踏み付けられ・踏み躙られ、騒音に悩まされている。然るに、この日本を更に食い潰し、食い散らしたアメリカの肩代わりだけにはなりたくないと謂う国民の声、天皇の声が聞こえて来る。今や、「天皇の日本から、アメリカの日本」に成ってしまったのである。恐れながら、皇御国(スメラミクニ)は、一木一草に天皇制があるのだ。その日本をトランプは「自衛隊をアメリカの為に使うようにする」と、公言し、事もあろうに安倍元総理は、日本を取り戻そうとしているのではなく、アメリカに売り渡そうとしてたのである。

 依て、自衛隊はアメリカ従軍傭兵部隊でしかなく、有事の際は米軍の先兵隊・補完部隊として前線に立たされる。更に辺野古は、海兵隊の兵器置き場(沖縄はリゾート保養地)であり、状況が変化すれば、米中は結束して抑えに掛かる対象であることを、肝に銘じなければならない。実際米軍は守る為の装備がなく、責める為の装備しかない。本来、国を護る事と他国を侵略する事は違うのだ。然るに、日本はアメリカの小判鮫及び、妾・財布・ÅTM・カモ・ネギであり、常にアメリカの棘が刺さっている。何処までもアメリカの影で良いのか?更に日本が債権者であり乍ら、アメリカの国債を勝手に売り払う事が出来ない、米国の承諾なしには処分しません、と謂う一札が入ってるとか、いないとか。債務者の言いなりの債務者とは聞いた事がない。

 日銀地下の倉庫にあった金塊も、ニューヨーク連銀の倉庫に移されたと謂う。日本は、金塊の遅延交渉は絶対と言って好い程しない。『日米合同委員会』で上げる事すらしない。自主規制忖度、役人保身の為波風は立てない。つまり外務官僚にとって地位協定は、日本の行政府に於ける黄門様の印籠で、他省庁に対しての優位性と日本国民に取っての支配の道具である。在外公館が、高級ワインを何十箱も所有しているのは、日本の祝日にかこつけて、大企業駐在日本人のお偉方とパーティー三昧で、何れ退職した時には、天下り先としてキープして置く事だと謂う。又対米自立は、外務省の抜本的改革は出来ないと謂う事だ。要するに「日米地位協定」の見直しが、脱植民地のスタートである。この三十年自民党は、アメリカ・中国・朝鮮・宗教に操られて、日本弱体化政策を連発し、日本の景気は年々悪くなって行く。

 西郷南洲翁精神を引き継いだ、頭山満は『国家は一人ひとりの国民に依って成り立っている。草莽の志士がこの国を変えるんじゃ、良いか〝この国を良くする〟それだけじゃ』……と。

(43 43' 23)

國乃礎 鹿児島県総連合会

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