―善人なおもて往生を遂ぐ 況や悪人をや―

 親鸞のこの言葉の意味はこうである。すなわち善人は一部の善行に依て、救われるのであるが、悪人は、その人の善悪あ悪行に係らず、ことごとく衆生を済度せんとする、阿弥陀仏の本願に全く依頼するのである。人の善行・悪行はこれ因果応報の理に基づくものであって、決して個人に基づくものではない。かの本願にこそ、衆生済度の全ての力は懸かっているのである。神道の潜在意識的影響と結び付いた、此の信条の本質的要素は親鸞も云うように例え『薬あればとて毒を紡ぐべからず』ではあるが、併し神性の悪行によって、抹殺されるものではないと謂う点に存する。個人は努力せずとも、弥陀はことごとく此れを救済するという考えは、他宗よりも一層真実をして、神道に於ける神霊偏在説に接近せしめるものである。

 親鸞は更に又、一度び救われゝば、それは未来永劫救われたのだとする考えに於て、神道の潜在意識的影響を示している。この考えは、親鸞によってはまだ十分明白にされず、従って多くの人にとっての躓きの石であった。併しそれは、宗教的用語を以て表現された、神道の現実主義である。この意味で救われるという事は、人が一度自己の神性悟れば、その行状如何に係わらず、その霊性の失われる事なきを示す。或は又、仏教的に云えば、仏陀の本願は取り消す事が出来ない事を意味する。之は、万物に偏在する霊性を信ずる、神道的にして而も、親鸞的信仰を表白したものである。摂取不捨ということは、神道的に言い方にすれば、個人は自己の神霊性を失い得ないという事である。

 親鸞の考えも之と同様である。何となれば、若し何人か神霊性を失う者があるとすれば、衆生済度の仏陀の本願は無にされるから、其処で、親鸞が一度救わればそれは、未来永劫の救いであると云った時、彼は日本精神に宿る内面的神道の伝統に呼応していたのである。親鸞の阿弥陀本願の神道的解釈に依れば、人は罪人として、地上に於ける神霊の進歩的発展を遅らすかも知れぬが、併し、その時代如何を問わず、人は神霊以外のものたり得ないのである。親鸞が又、僧侶の食物を制限しなかったのは、神道の影響によってゞある。神道は、僧侶と平信徒徒との間に神性の区別免れた事が出来る

 神道は、人民の間に霊的差別を認める事を嫌い、親鸞も又、僧職を人間的にしようとの努力に於て、神霊に対する見方に与せんとしたものである。禅宗も又、この点に於て、実在に於いての神道的直観を示している。禅は個々の自我の神性を力説し、精神の内面的過程としての悟得に信頼する。親鸞は済度は個人の力を越えたものであるとなし、又禅はこの悟りが内心より来る事を認めるが、併しこの両者の何れか、専横な神意によって救済を左右するも、超然的神を認めない点に於て、神道に近似しいる。禅は悟りを開くことは、煩悩の世界から身を退くことを意味しないとの所説に於て神道に近づくものである。

 何となれば、悟りを開いた禅僧は霊性を失うことなく、其の欲する誰とでも交われる。禅僧のある者がその興味の多方面にして、その態度の自然な事によって、社交人として頗る付き合い良き人たる所以は、この原理によってゞある。神道の神官と同様に、禅僧はどんなに寛いでも堕落を恐れる必要がないのである。  神道の御蔭で、日本は原罪及び地獄というが如き教会的教理の犠牲たる事から免れた。仏教者は堕落者を罰する為に多くの地獄を説くのであるが、神道は、その地獄が恐怖的効果を日本に普及する事を防止した。仏教に於いては、統一的全体からの分離が原罪思想に代わって、悪の原因と考えられた。

 併し、神道が生命の望ましき神霊的事実としての、個人の実在性を主張した事によって、この思想の悪影響は滅殺されたのである。原罪からの救いという考えは、個人の霊性を信ずる神道には到底理解できない所である。救いは日本に於ては普遍的意味を持っている。併し、この魂救いの普遍性が個人の実在性と相結んだが故に日本の大乗仏教は、神道的直観力の影響を蒙ること著しかった日本文化に、強く訴える事が出来たのである。神道ありし為に日本は観音信仰の沃土たり得たのである。

 「われは個人的救済を求めず受けず、またひとり浄土に
  入ることを成さず、何れの時何れのところにおいても
  われは、大千世界にありとし、あらゆる生物の済度の
  ために生きかつ務めん。」

 この考えは、仏教には古いもので、日本に始まったものではない。併し、日本に於ては、これを現実主義的一教理としてその全面的価値に於て受け入れたのに対し、他国ではこの教えは、一般的影響をより多く有しているのである。日本に於て観音信仰の原理が当然の理法と考えられるのは、神道が直観的に神霊の普遍性を感知していた御蔭である。然るに原罪は直接的な人間的な努力によって、克服さるべきものだとする神学的教理の存する所では、観音思想は受け入れられない。

 宇宙に一つでも、失われた魂の存在するという事は、神道の感化を受けた日本人の哀情の到底忍び得ない所である。魂の破滅又は低迷であった考えを如何にして、克服すべきかの問題は日本仏教徒との大いに関心した問題であるが、その問題が彼等の興味を引いた所以は、哲学的思索や分析的論理にあるのではなく、直接的悟道にあったのである。蓋し、神道が日本人の心を常にこの方面にとけていたからである。

 法然と親鸞とは、阿弥陀仏の本願によりて、一切衆生は仏土に往生するものとし、又、禅は解脱は内面的悟得から来るものとして、共に一つの霊魂の破滅をも好まざる、神道的直観に追随した。日本仏教に於いては、済度よりも寧ろ悟りによる解脱か霊的満足に到達する道であるとするか、之も又、神道精神に適えるものである。併し悟りは必ずしも知的過程たるを要しない。人心は常態に於ては、必ずや霊性を展開しくるものだという事が分れば悟りが開ける。併し、霊性の展開は之を内面的感情によって理解する為には、必ずしもこれに知的言表を与える事を要せぬ。

 東京近郊にある、禅宗の巨刹鶴見総持寺の開祖瑩山は、『平常心是道』という文句についての講義を聞いて、二十二歳の若年で禅の悟りを開いたと言われる。この文句の生じた中国に於ては、この観念は知的興味を起さしたのであるが、日本に於てはこの本文は、知的興味に非ずして直接的意味を有する。日本人の心性は神道の影響によって、直感的に斯かる観念に呼応するように、準備が出来ていたのである。神道の道(即ち人生の理想)は、精神が進歩を妨ぐる日々の障害を克服しつゝ(遠い将来の可能性を漠然と夢見る事によってゞはなく)努力と能力との日々の蓄積によって、前進せん事を求めつゝ、その日~の生活に於て向上せんとする道なのである。それは自己創的活動の道である。神道は常に日本精神に斯かる影響を与えてきた。

 禅は又、人生の最深の真理は口伝するを得ず、内面的交通によって、心より心に伝えられねばならないとするその教えに於て、神道の影響を示している。この考えは極端に走って、或る国民には精神的旅情を誘起するかもしれない。併しこれは太古の人生観の神道的説明法である。神道が日本にその勢力を及ぼしたのは、論理的分析や哲学的思索によってゞはなく、内心最奥の監督と直観的理解とに依ってゞあった。之が、禅が他の東洋諸国に於けるよりも、日本に於て一層発達した所以である。禅の人生に対する実際的態度も又、神道と歩調を合わせている。神道の創造的精神は、常に活動と物質的前進する。併し又、禅の精神力の修錬は、有効な活動を刺激せんとの目的を有する。この要素が禅に失われば禅は堕落するのである。

 日本に於ける、仏教と神道との融合の持続的努力は、決してその一が他を吸収し去るという点に迄は至らなかった。併し仏教は絶えず生得的且つ、神道的な感化を受けた。即ち創造的活動と自己信頼とを学んだ。この融合の努力は又、自覚的冷静の或る種の表現として、神道の考え方の一部分を採用せしめたが、その結果、神道自身も利益を受けているのである。何となればこれに依って神道は、仏教の畑に育った日本思想界の指導者らの精神発展に、一層その感化を及ぼしたのである。人の世を幻であり、迷であるとする仏教思想の悪影響を排除する事は、神道にはそんなに困難ではなかった。此の思想が最も勢いを得たインドに於ては、自我を宇宙的全体(これのみが唯一の実在と考えられた)にまで拡大する事によって、仮象の世界からも離脱しようとした。

 自己を犠牲にする事ではなしに、自己を無限にまで拡大する事が切望された。日本では中心点が自我より自己犠牲にと移っており、この点は特に武士道に於て力説されている。武士は、人生を夢幻なりとする哲学を解して、一つの主義の為の自己犠牲を是認するの根拠とした。主義そのものが、実在と考えられたのである。死をも顧みぬ忠誠は大いに奨励された。斯くして武士は、主君に対する献身的忠節の為に、永久的名声を勝ち得るに至ったのである。個々の生命は幻に過ぎずと為す、同じ思想がインドに於ては、あらゆる現世の克服せんとして、寂滅無為の生活に赴いたのに反し、日本では若し生命が幻に過ぎずとせば、それは益々人生の価値ある目的の為に捨つべきものだと謂う考えから、激しい活動的な生活となって現れた。この相違は人を駆って実際的活動へと、赴かしむる古神道の影響によるものである。

 徳川幕府が、諸制度の現状を維持せんが為に、静的朱子学派を強めんとした懸命の努力も、全然たる失敗に終わった。朱子学派は、将来の全ての可能性が明らかになるまで、行動してはならないと考えれば、当然進歩は無期延期されねばならない。中国が生んだ、最も独創的な儒家の一人なる王陽明は、十六世紀にこの朱子学派を攻撃した。彼は知一致(知行合一)を唱え、知は行に伴うものであるから、新しき活動は結果の予知されるまで、延期さるべきものでないと主張した。この考えは彼の心中に創造的精神の潜める事を示している。王陽明の教えは一時中国に勢いを得たが、併し、中国人は常に新活動に必要な新しい努力の発展を回避する方法ばかり考えていた。――然らずんば、今日中国は現在のような状態にはないであろう。

 中国人は、知行合一ならば行によって知は自らに現れる故、研究によって知を獲る必要はない筈だと称して、孔孟の学説に対する王陽明の解釈を以って誤りとなした。斯くして中国人は王陽明を排斥したのである。十五世紀に至り王陽明の教えは、一介の微禄の士、中江藤樹によって日本に伝えられた。神道の創世記活動の影響下にあった日本人は、王陽明学説を詭弁家することなく、その根本価値に於いてこれを解釈した。陽明学は研究を軽視せよとは言っていないのだ。それは行なき研究は致命的なるを力説しているのである。活動の奨励がその主張の中心であり、活動の根本は個人の努力にあるが故に、陽明学は朱子学派が抑圧せんとした個人の自由と、自己発展との欲求を再び刺激したのである。

 陽明学に依れば、内心は生命の知識を有し、活動の新条件を自己と合致せしめる事が出来る。正しく理解された陽明学の根本的影響は、活動に対する自己信頼を促進する。併し、この自信は、自己の行為の結果に対する責任観念を生むのである。日本人をして陽明学の根本観念を斯くの如く理解せしめたのは、神道に於ける創造的活動と、個人的責任の潜在意識的直観に依ってゞあった。実際中江藤樹は、神道精神と陽明学との此の内面的結合を観取していたようである。そして彼は、神道と儒教との結合を主張するまでに至った。彼は、「神道大義」に於て、この二者を結合せんとの興味深い試みを成している。

 神道は、斯く如何に多くの外来の人生観に影響を与えても、それ自身に其の何れにも自己を極限せず、常に独立的なものとして止まった。同時に日本に於ける陽明学の進歩は、神道研究熱の再生と合流し、この二思想の勢力には徳川幕府も抗し得なかった。陽明学は、神道精神の大影響を受けて、日本の儒教をして個人的責任観及び忠君の念に基づく新しい活動の刺激たらしめ、王政復古と立憲政体樹立に重要な役割を演じたのである。日本美学にも、神道が潜在意識的にその感化を及ぼした多くの痕跡がある。神道の創造的活動の考え方では、美と実用とが結合される時、価値は増加するものと考えられるから、日本ではいつも実用と美とが結合されている。

 荒魂(あらみたま)と、和魂(にぎみたま)とが、互いに分離せずして同一人格の中に存在するという謂う考えが、初めから神道の中に流れていた。この考えが日本人を芸術至上主義の悪結果から救った。芸術と実用とは、他国に於けるよりも一層自然的に於て結合されている。十六世紀の茶道の大家利休は造園に当っては、空間六・美四の割合が保たれねばならないと云った。美娯楽として又美術鑑賞の一法として、幾世紀にも渡って日本に流行した茶道の目的は、芸術的趣味の養成にあったばかりではなく、又精神を修業し活動の為の集中力の発達をその目的としたのである。それと同時に、此処での会話が人に立ち聞きされないと謂う事は,茶室をば絶好の秘密会議所にする。神道精神は常に、美的環境の中に実用が一幕入ることを欲するのである。

 刀鍛冶として、最高の熟練を示した日本の刀剣製造家は、既に幾世紀も前にその技芸と実用を最高度に結合した。併しそれが尊重される為には、日本の刀剣は非常に良質のものであると共に、美の要素をも備えていなければならなかった。加うるに神道に感化された日本人は、刀剣に一種の霊的性質を付与した。それは刀剣を用うるには、責任感以って有用な時にのみ之を用い、利己的活動に之を用い可からざる事を意味する日本の刀剣は、神道の創造的三特徴即ち、霊性・審美・実用を一に兼備せるものと云い得る。如何なる外来思想もこの神道概念を変更する事は出来なかった。

 日本の最高文字は、紫式部の源氏物語であるが、これは仏教が死や病床に於ける魔法的仏式に対する、大きな興味を喚起していた十世紀から十一世紀の間に書かれたものである。紫式部の文学的天才は、西洋の如何なる小説家も凌駕し得ぬものである。中世日本に於て文学的人生描写の最高峰に立つ紫式部の清少納言の如き才女を輩出する事は、それ自体神道の影響を明示するものである。生命をば、自己発展的・自己創造的前進となす神道の考えは、この如く常に、外来又は国内に発せる静的虚無思想の影響から日本文化を救って来たのである。十九世紀の半ばに於て日本が世界に門戸を開くや、忽ちにして西欧の科学的文化を把握してしまった事は、日本精神の中に幾千年もの間直観的に潜んでいた、この神道の威力の現代に於ける著例である。

 神道に於ける、自己創造の広量な原理と新奇を求める神道精神とは日本をば、外来思想・渡来思想、渡来より今日に至るまで、様々な人生観の自然的実験室にしたのである。非創造的機械論的傾向に対しては、神道は常に反抗して来た。併しこの反抗は潜在意識的に行われ、神道は嘗て自分自身の教えを自覚的に体系化した事はない。それ故日本文化は潜在意識的には極めて発達したものではあるが、尚自覚的形成の発展段階にあるのである。神道は尚その文化的想像力を意識的形式に於て、表現せねばならない。これが神道と日本とが連合して当たるべき将来の主要問題である。

(43 43' 23)

國乃礎 鹿児島県総連合会

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