維新後、我が日本の右翼の棟梁は頭山満であり、左翼は中江兆民であった。この両巨頭は、肝胆相照らす仲で、お互い西郷南洲翁を敬慕していたと謂う。その頭山が、明治維新後の有様を「鹿鳴館で、馬鹿踊りをしている連中、伊藤や井上といった輩を生かして置いては、日本人を列強の奴隷にするようなものだ。糞溜でも掘って皆埋めてやれば好い。国家は一人ひとりの国民によって成り立っている。草莽の志士が、此の国を変えるんじゃ。良いか此の国を良くする、それだけじゃ」……と。
昨今の為政者に於ておや。曾て、我が右派陣営の中村武彦先師は「今の永田町を焼き殺してやりたい!」と獅子吼して居られた。将に現今の永田町も糞溜めであり、政治家は蛆虫である。と、言っても過言ではない。更に言わして貰えば「銀座の高級クラブや赤坂の一流料亭で、夜な~乱痴気騒ぎをやっている連中。この国賊や 売国奴を生かして置いては、益々〝貧困窮層〟を地獄に落とすようなものだ。真っ裸にして皆、東京湾に沈めてやればいゝ」と憤激するものである。
西郷南洲翁有名な言葉に「敬天愛人」があるのだが、裏を返せば「人を相手にせず神を相手にせよ、世間を相手にせず天を相手にせよ」と、筆者は独断で解釈している。それは「王政復古の大号令」の際に、慶喜辞官の勅令を出させ、徳川家を無力化する事を企図していたが、議定の山内容堂や松平春嶽らが抵抗したので、審議は小御所にズレ込んだ。その時、西郷の一言が歴史を動かした。それは「短刀一本あれば片が付く」であった。
この西郷の、イザとなれば玉座を血で汚してゞも『短刀一本でケリをつける』と謂う、肝を据わらして、臍を固めて、肚を括って、性根を据えた。確たる覚悟があったからであろう。更に「正道を踏み、國を以て斃ふゝの精神無くば、外国交際は全かるべからず」の自信・決意・勇気・精力・気迫・信念を常に内に秘めていたから、身を捨てゝ此の日本を残して救う事が出来たと思考するものである。
そして、更に「命もいらぬ、名もいらぬ、官位もいらぬ。という人は、始末に困るもの也、併しこの始末に困る人ならでは、艱難を共にして、国家の大業は為し得られるもの也」と謂う至言が迸って来る。今の世に西郷南洲翁のような人物が一人でも居たなら、内外の〝混迷混乱〟は一刀両断、立ち処に解決されるであろう。現下の日本にいや、世界に斯ういう政治家は居るや否や。洵に凡庸な為政者ばかりで心細い限りである。
0コメント