7)哲学

 アインシュタインとタゴールの対談(討論)でアインシュタインは「存在するから知覚される」云ったのに対し、タゴールは「知覚されるから存在する」と切り返したのだが、これから取り上げるアイルランド生まれ(1685年3月12日)のジョージ・バークリは、「存在は知覚である」と喝破した。

 此処で、敢えて私見は述べないが、筆者は此のHPのリニューアルに当って、思想の部門で中国の王陽明の日本に於ける、陽明学徒の思想なり人物なりを、時系列で参照したのである。特にこのバークリ哲学と王陽明の思想は、対称性が散見され、東の王陽明に対する、西のバークリと云っても過言ではない符号が散見され、今回のHPのリニューアルには、どうしても取り上げなければならない。と、謂う衝動に突き動かされて、両者の霊性・心魂の度合い・真理探究の把握等を掲げたいと思った。

 先ず、二人の類似点の際たるものを最初に明らかにしよう。是は、王陽明とその弟子が山中を散策している時に、弟子が岩間に咲いている花の木を指して、「先生は、天下に心外のモノは無いと仰いますが、此の花は、深山の中で自然に咲き、自然に散って行くだけです。我々の心と何の関係がありましょうか」と問うた時、王陽明曰く「君が未だ、此の花を見ない時は、此の花は君の心と共に、静寂に帰していた。それを今、此処に来て此の花を見た時、花の色は一時に明るくなって来たのだ。これで此の花が君の心の外にあるものでない事が分るだろう」と、答えている。

 今回のバークリも、同じような事を説いている。「全ての天体の群れや、地上の備品は、一言でいえば、世界の巨大な仕組みを構成する全ての物体は、心外には何等存在しない。」と、言い切っている。これがバークリの説く所の「非物質論」の根源を表しているものである。彼の、量子物理学のハイゼンベルクが唱えたように、観測(認識)しなければ、それらは存在しない。認識すると謂う事は、その対象を存在させ得る事である。「あなたがこの世を認識しているからこそ、此の世が存在するのだ」。更に「物は観察された時にのみ、その状態が明確になるのだ。と、謂う事を鑑みれば、現代の量子力学の理論とも一致するのだ。

 バークリが、大陸旅行から帰還した時、イングランドは社会的興奮と悲惨との渦中にあった。『大英帝国滅亡論』はこうした状況の下に出版された。バークリは、祖国滅亡防止の任務と道徳家として引き受けた。彼は物質的崩壊、貧窮の背後に浅薄な投機熱、幸運な人々の下等な虚栄等の病的精神状態を、そして、個人的利益の追求の中に、社会的滅亡の兆候を見た。彼に依れば、国家の主要な病弊の源泉は、真実には道徳及び宗教の衰退にある。だが、彼の精神は道徳非難で満足するには、余りにも実践的であった。

 彼は進んで、物質的損害から恢復する為の、経済政策的な提言を為し、富の唯一の源泉は労働である事。国内の原料を用いる産業の奨励せるべき事。奢侈品は、道徳的及び経済的見地から禁止され、輸入品は無責任な利己的思想家達を強く非難し、政治上の党派心に流行の賄賂、偽哲等を厳しく攻撃し、最後に次の如く彼の優位を吐露している。「真実のところ、我々の症状は非常に悪化しているから、議会のあらゆる注意や警戒にも拘らず、我々国家の最後の時期が接近している事が、心配される。」

 斯かる時代、情勢の把握と旧ヨーロッパ的世界に対する絶望感が、軈て、彼のアメリカ企画を生み出す事になるからである。上記の項は、王陽明の心境と全く同じであると同時に、王陽明の「抜本塞源論」は、バークリの「大英帝国滅亡論」と機を一にする天教訓書・一大警世の文である。我が国に於ける陽明学の俊士、三輪執斎は「これ、至論中の至論・名文中の名文、秦漢以来数千年の間、只この一文あるのみ」と、先学の評論である…と。

 此処でその一文「抜本塞源論」を取り上げると―――

 「聖人の学は、遠い過去のものとなり、覇道が広く伝わり、その弊害が深く深く人心に浸透していたので、賢人・知者と云われる人でも、皆その汚染から免れる事は出来なかった。茲で訓古の学が興って、学者は文字の解釈をして、これを後世に伝える事を名誉とし、又、記涌の学が興って、華麗な文章を作る事を美文とするようになった。この種の学問が世に群記として行われ、其の流派の数も分らないほど多く、例えて言えば、大小の路が千万人入り混じって、其の流派の数も分らないような有様であった。

 世の学者は、まるで色々な演技をする劇場に入って見物する時のように、落語家・漫才師・舞踊家・奇術師・軽業師などが四方から、舞台の上にせり出して来るので、前を見たり、後ろを見たり、其の応対に暇もなく、その為に目は眩み、耳は遠くなり、精神が朦朧として、昼となく、夜となく遊び惚けて、まるで、気違いが我が家の職業を忘れ果てゝしまうようになった。当時の君主たちも、これ等の学説に迷わされて心が転倒し、生涯役に立たない虚しい文章を作ることに努め、何故このような事をするのかゞ、自分でも分らないような有様であった。

 「その行き着く所は、富国強兵を求める五覇と同じ事をしているに過ぎなかった。このようにして聖人の学から益々遠ざかり、その為に聖人の学は益々不明になって、功利を求める風習は、愈々広がり、愈々激しくなった。その間、仏教や老荘の学に心を心を引かれた者も居たが、其の説も結局功利の心に勝つ事が出来なかった。そこで今日に至る迄功利の害毒が人の心髄にまで浸透し、殆んど千年もの長い間、その習慣が本性のようになってしまった。」上記の文も底流では、同じものが流れている。

  閑話休題

 「スクリブシル人・クラブの会員達がバザースト卿の家で、饗宴に集まった時、彼等は同様に客として来ていた。バークリをバミューダ企画に関して、一致して鼓舞した一行が述べなければならなかった。多くの活気ある事項を陳べた後、次に彼が聞いて謂う事を乞う順番になった。そしてバークリが驚嘆すべき能弁と熱誠の力を以て、彼の計画を示した時、彼等は唖然足らしめられ暫く合間を措いて立ち上がり、思い詰めたように『我々は彼と一緒に出掛けよう!』と絶叫した。

 「個人の勤勉こそ、社会的繁栄の基礎であり、アイルランド人の社会的繁栄の基礎に対する救済策は、アイルランド人にとって、最も必要な事は、アメリカの野蛮人の住宅や家具より、一層汚い住宅や家具に怠惰にも満足している事」から覚醒する事であった。

 バークリは、ロック・デカルト・及びマールブランシュ等の哲学に依って育てられた。若しロックが経験者と呼ばれ、マールブランシュが観念論者と呼ばれるとすれば、バークリは経験論者も観念論も共に、非物質論の理説に達したと考えるのであるが、彼がどの途を辿ったにせよ、彼はロックの弟子でもマールブランシの弟子でもなかった。バークリ有りては、物質の承認は懐疑論の導入と神の放棄を意味し、懐疑論の克服と神への信仰は物質の放棄を前提とした。彼の哲学が非物質論として生誕すべき根拠も此処にあった。更に「存在は知覚である」と謂う「新原理」発見し、それに依って裏付けられている事を明白に物語っている。「新原理」に対する彼の自信、並びにそれの発見に対する彼の発見は甚大である。

 「デカルト・ロック及びニュートンは、世界を取り去った。…バークリは、世界を回復した。バークリは、輝き音を発するが故にのみ、存在する世界を我々の処へ持ち帰った」バークリ的思惟の最大の特色は、その単純、率直、具体性にある。彼が鋭く対立し、その克服を目指したものは「精巧に紡がれた形而上学」であった。何故ならそれは、言葉の濫用によって「これまで思惟バークリの思想を錯綜させ、紛糾させるのに、主役を演じた来たように見えるもの、そして殆んど全ての知識に於て、無数の過誤困難を巻き起こしてきたように見える」バークリは、ホップスに倣って、当時の哲学の全分野を包括する巨大な体系を意図していたのである。ホップスは物理的基準を意図していたのである。ホップスは物理的自然を基礎とし、バークリは精神を世界の根源とした。其処に両哲学者の相違が窺がわれる。

 「私は独力で常に思考し、判断した」彼は真理を如何なる偉人、権威の袖にもピン留めしない。彼は、ロックやマールブランシュを研究し、彼等及び他の思想家から多くの事を学んだ。だが彼は如何なる思想家にも盲目的に服従しなかった。バークリの観念は、ロックやデカルトの観念とは根本的に異なり、実在とか事物の描写ではなくて、実在そのものゝ、事物そのものであった。一切の可感事物を観念化する事こそが、逆に観念を事物化する事を、彼の目標とするものであった。フィロナスは云っている「色が実際上、私が見るチューリップの中に在る事は、明白であります。又、このチューリップが貴方の精神や私の精神から独立に存在し得るのは、否定できません。だが感官の直接の対象、即ち観念乃至、観念の結合が或る思惟しない実態の内には、即ち、あらゆる精神の外部に存在すると謂う事は、それ自体明白な矛盾である。

 『存在は、知覚である』これは、洵に驚くべき発見と洞察を盛った原理であると云わねばならぬ。それは一度宣言されるや、それを公平に取り扱う人々に依って、その不可避性を十分理解させる原理である。それは常識でもあり、理論的真理でもある。恐らく数学史上斯くも僅小の、且単純化な言葉で述べられた事は、嘗てなかったであろう。「事物と謂う観念」は、私がそれ等を知覚していない場合に於いて、私にとって外部的なものである。感官の対象は、知覚される場合に於てのみ存在する。それ故、庭園の樹木や居間の椅子は、傍らに誰かゞ居て知覚する間にしか存在しない。私が眼を閉じれば部屋の家具は無に帰し、単に眼を開きさえすれば、それらは再び創造される。『私は、決して事物を観念に変えようとしているのではなく、観念を事物に変えようとしているのです』

 物質的事物の存在は素より、それらを構成する全ての諸性質は、精神内外どこにも存在しない。全ての可感的事物乃至の実在性は、本質上それらが精神によって知覚される事の内に存在するのであり、バークリにとっての可感的事物が知覚する精神と、無関係に絶対的超越的に存在すると謂う理論は、哲学上最も酷い矛盾の一つである。ジョンストンは、バークリに依る思惟する能動的主体の発見に就いて、こう云っている「バークリは事実、知識上の思惟する主体の重要性を発見した、〝近代最初の哲学者〟であった。従来の哲学が一般に精神を外界に依存して、自らの知識を仰いでいるものと、見做す事に満足していたのみに対して、バークリは真実のコペルニクス的転換を為し、そして、所謂外界は精神に依存してその存在を得ているものと主張した」

 斯くして、精神は世界に於ける最も重要なものとなり、実在は元来精神的なものであり、そして自然的宇宙の存在は、精神に依存するのである。心とか意志は、霊魂の能力でも又、霊魂によって所有される観念でもなく、霊魂そのものである。霊魂は本質的に能動的であって、非活動的実体ではない。バークリは、知覚し、意志するものとしての精神の能動性を確立し、之を実体にまで高めた。「精神は知覚の集合である。知覚を取り去れ、そうすれば君は精神を取り去る事になるであろう。知覚を定めよ、そうすれば君は精神を定める事になろう。私が存在している間、乃至私が何等かの観念を持っている間は、私は永続的に不断に意志しつゝある現在の状態を黙認する事である」

 『我々は、我々の足を自ら動かす。それらの運動を意志するものは我々である。』私とマールブランシュはこの点に於て相違する。万物を神に於て眺める事は、万物が神であると考える事は両立し難い。だが、万物を精神(バークリの神は能動的精神)に於て、眺める事との間には本質的乖離は存在しない。彼は、非物質論的構想を抱いた時以来、「神が至る所に現存し、直接働いている普遍的原因である」事を確信していた。『あのチューリップには、青や黄の色が付いています。でも、その色を知覚する心の動きは、私の中だけです。全ての心の外に存在すると謂うのは、それ自体明らかな矛盾です。』

 ピンが生み出す痛みが、ピンにはない事は、痛みという感覚が心の存在である事を示す例として、バークリ以外の哲学者も用いる、リードはその一人である。足が切断された場合、今は無い足が嘗て足があった場所に痛みを感じる。と、謂う例なども苦痛が心の中にある事を示す例として、考えられた。魂は、脳のある部分にあって、其処から神経が生じる。身体の隅々に広がっていると思われる。と、ロックやデカルトも脳が心の場所である、と考えていた。バークリは生理学的成果自体を否定する訳ではない。只その説明に現れる感覚器官や神経、脳が知覚の対象にはなり得ない事を否定するのである。

 バークリは、決して可感的事物の実在性を、否定しようとしていた訳ではない。バークリが「第一対話」で示そうとしたのは、単にそれらが「心の中の存在である」謂う事だけであり、それらの実在性については、認められているのである。バークリは、単なる科学の批判者ではない。バークリにとって科学者の仕事は、事象の真の原因を調べる事ではなく、様々な自然法則を明らかにし、体系を立てる事なのである。バークリの哲学的動機は、宗教的・道徳的関心はあったのであり、非物質論の主要推進力は宗教的契機にあった。物質的実体的拒否の根拠も、実に宗教的理由にあった。それは、当時の自由思想家、理神論者の哲学的拠点であり、思想的城砦であったからである。

 デカルトの形而上学は、物質の地位を高め、人々の注意を物質の性質の上に集中させていた。デカルトの物質及びそれと深い繫がりを持った、ロックの物質が共に若きアイルランドの哲学者、バークリの鋭い批判の対象となったのは、蓋し当然の事であった。斯くして、同時代の代表的な思想家達に依って、抱かれている物質観を概観して明らかな事は、バークリの非物質論は当時に於て、極めて異質的な例外的なものであったと謂う事である。今日では多くの人々は、バークリの非物質論に共鳴し、拍手を以って此れを迎えるであろう。

 バークリの哲学に於て、重要な意味を持つ〝符号論〟が斯かる哲学的思索の労力を縮小せんとする、努力と結合していた事は、注意される必要がある。「哲学的評注」を書いていた頃、バークリは倫理学の代数学的抗争に於て、ロックの影響を強く蒙っている。この時代に於てバークリは代数学に特に関心を持っており、代数学的論理学を応用数学と看做し、「道徳は、混合数学として論証されるであろう」と云っている。此処では、バークリは一方に於て、先人達の恩恵を十分見詰めつゝも他方に於て、早くも独立思想家としての自信を、次の如く語っている。

 「彼等は望んだ港には達しなかったけれども、彼等の難破によって岩や浅瀬を知らせてくれ、そしてそれに依って、後からやって来る人々の通行安全な安易なものとされる」その記載事項の中に見出されるバークリの自信は、既に彼が「存在は知覚である」と謂う「新原理」を発見し、それに依って裏付けられている事を明白に物語っている。新原理に対する、彼の自信並びにそれの発見に対する彼の喜びは、甚大である。「この原理の反対は、あらゆる時代に於て、人間理性を批難してきた所の全ての懐疑論や愚劣さ、全ての背理の説明できぬ煩わしい不条理の主要な源泉であると私は考える」。

 更に、観念の意味について「我々は家・教会それ自体を見る。それは観念であり、それ以上のものではない」「観念という言葉によって私は関知し得る事物を意味する」。「感官の観念は、実在的事物乃至原型である」。「想像の観念・夢等はこれらのものゝ描写・心象である」「事物と観念とは、同じ外延と意味を表現するものである。「観念は結果、即ち無能力のものである」「観念は、不活動の思惟はしないものである。此処には、「原理論」を目指しての急速な前進が、そしてタブリン「暗い片隅」から、ヨーロッパ哲学界の指導的位置を目指しての力強い行進が、見出されるのである。

 此処で、注意せられるべき事は、「視覚論弁明」の表題紙を提示されている「我々は、神の内に於て生き、動き、又存在する」という、パウロ的文章である。非物質論に於ては、我々は精神を事物に関する考察から、発見するのであって、デカルトの如く事物を、精神は考察から導き出し、発見するのではない。非物質論は、云わば我々の宗教的意識の教育学であると云える。何故ならそれは、可感的事物たる自然について、我々を教える事に於て、神に就いて教えるからである。バークリの直面する今一つの問題点は、持続性、並びに同一性の問題である。「可感の対象は、知覚される場合に於てのみ存在する」

 それ故、庭園の樹木や居間の椅子は、傍らに誰かゞ居て、知覚する間しか存在しない。私が眼を閉じれば部屋の全ての家具は無に帰し、単に眼を開きさえすれば、それらは再び創造される。可感的対象は、低い立場から見れば私の観念であり、より高い立場から見れば、我々の観念であり、最高の立場から見れば、神の観念である。私の精神外に存在している精神は、私の誕生前にも存在していたし、仮定上の私の絶滅後にも存在するでありましょう。それは偏在する永遠の精神が存在すると謂う、結論が必然的に出て来ます。其れは、自然の法則と呼ばれている仕方と法則に従って、我々に示して呉れるのである。

 その時代~の精神は、例えば此処に一軒の家があったとして、その壁や外形は元の侭であるが、部屋は全て取り払われ、その新しい部屋(精神)の取り換えられたと、仮定したらどうだろう。其処で彼は、事物は神の精神内に存在するのである。他方人間の見地からすれば、物が不断に消滅したり再び現れたりするのは明白である。(この事は、将に量子力学と同じ見解である)バークリに於て、観念と精神との本質的異質性乃至二元論は、その初期以来一貫したものであり、それは非物質論の根本的特性を成すものである。

 カント以前に於て、バークリを除くこれら全ての思想家達(ホップス・デカルト・ロック・スピノザ)の根本的基調は、色彩に若干の相違はあるにせよ、何れも例外なく必然論的・機械観であって、精神の主体的観念性は、何等明確に捉えられていないからである。斯くしてこの時代に於て、バークリを除いて精神の能動性を判然と捉え、非決定論的世界観を説いた思想家は他に存在しなかった。精神の存在は、バークリにとって単なる仮説でもなければ、又単なる論理的結論でもなく、生ける実体的体験の不可避的事実であった。

 ロックにせよ、ヒュームにせよ、ミルにせよ所謂経験者共通の特色は、精神を受動的なものとして、捉えている点にある。バークリはこの点に於て彼等とは全く異なっている。精神の能動性、観念の精神性は、彼の体系の出発点であり土台であり、その根本的土台であった。観念の場合、バークリはこれを認識するものを知覚に求めたのであるが、精神の場合、彼はこれを反省に求めるのである。彼の神は、単に超越的存在たる所に、その本領があるのではなく、その本領は、不断に有限精神内に臨み来り語り掛け配慮する所にある。

 「神を延長あるものとなすこと」の危険性の故に又「空間の無限性・永遠性」及び「物質が思惟する可能性(物質には魂が存在している)」支持する事の危険性故に、手厳しい攻撃を受けたロックは、それにも拘らず神の正統的信仰を持ち、神の存在を「最も明白な真理」と呼んだ。バークリ的神の存在は極めて明白である。自己を可感的事物の組織の真っ只中に置き、そして其処に神を見出すのである。彼に於て可感的事物に就いて語る事は、神に就いて語る事であり、神に就いて語る事は、同時に可感的事物に就いて語る事である。

私が、感官観念は私に対してのみ且つ、私がそれらを知覚する時にのみ存在するのではない。それらは全ての人に対して、而も私がそれらを知覚しない時でも存在する。これに反して創造の観念は、私に対してのみ且つ、私がそれらを創造する事を意味する限りに於てのみ存在する。(上記は、アインシュタインが「月は見ない時には存在しないと云うのか?」と同じ見解である。バークリ的世界は、神に於て見られる世界である。感官の観念乃至事物という観念は、神的法則によって定常的であり、神の統制的意志によって調節され、神の光照らされて光り輝くのである。

 非物質論の深い意味は、観念について語る事に於て神について語り、人間を凝視する事に於て、神を凝視する処にある。神が如何にして知られるかを叙述し、そしてその認識から他の認識と関係付ける人は、誰でも大きな困難が直面せしめられるであろう。何故なら彼は人類の世界に於ける最も輝かしい且つ、歴史的に遺伝された感情の奥底と、個人的経験論の表面とを結合せんと務めるであろう。バークリの思想は「精巧に紡がれた形而上学」の論証でもなければ、「組織に縛り付けられた官吏の言葉でもなくて、生活の事実に直面する自由なる独立的思想家の言葉」であると云われるべきであろう。

 精神の問題の処で考察せる如く、バークリは神の「思念」は認めるが「観念」は認めない。バークリは「アルシフロン」に於て、当時の教養ある人々の間に、不信心や公然たる無神論が驚く程拡がっている事に、度々言及している。彼は自由思想家達が理性の名の下に、宗教を攻撃し、その成功にドンチャン騒ぎしている光景を描写している。既に考察せる如く、非物質論の窮極の意図は、広義に於ける神の存在論証あったのであるが、併しこの事は、決してバークリの探求が、宗教的領域の問題に閉ざされていた事を意味しない。逆に彼は当時としては珍しく、広範囲に渡って、種々の学問領域の問題を取り挙げているのであり、而もそれら各々の領域に於て注目すべき成果を残しているのである。

 視覚的、知覚に関するバークリの理論は、厳密な心理学理論であり、「視覚新論」は視覚的知覚に関する近代に於ける、最初の心理学的理論である。彼は実証科学としての、近代心理学観を最初に提唱した思想家である。視覚の問題に対する彼の処理は、アリストテレスやスコラ派の生理学的理論とも異なっているし、又デカルト派の数学的理論とも異なっている。バークリに依れば、視覚の問題は心理学的なものであり、生理学的考察は無用であるとされる。バークリの批判の鋭鋒はニュートンに向けられる。バークリに依れば、運動の起源を引力に帰するものは、ニュートンであるが、斯かる理論は何ら説明にならぬ。

 と云うのは、それは引力が引力に比例する、という事に他ならないし、ニュートンは引力が何であるかについて、我々に示さないのであるから、彼が運動の起源を引力に帰する事は、無用なのである。バークリに依れば、ライプニッツも、運動の起源の説明に於て失敗している。何故なら彼は、運動の究極原因として、あらゆる物体の中に存在し、且つあらゆる物体間の羍引と、反発との関係を産出するものとして、この能動的・本源的な力を挙げているが、彼はそれに対応する実在的なものが、存在しない事を求めているからである。

 ニュートンは、単に数学的仮定として引力を用いているに過ぎず、ライプニッツは羍引作用と反発作用が自然的事物の中に、実在的に存在しない事、そして、それらが単に便宜上の抽象的観念に過ぎぬ事を承認している。バークリにとって斯かる曖昧な抽象的観念に基づける説明は、名を値するものではない。彼等が挙げている運動の原因は知覚によって把えられる事も出来なければ、理知によって理解される事も出来ぬ。従ってそれらは、無意味なものであり、そして、それらを仮定する彼等は詭弁家と異ならない。

 バークリは、斯かるニュートン及びロックの見解に対して、絶対的空間乃至、純粋空間は不可能であるが故に、彼等が設定せんと努めている区別は、無意味であると批判する。その理由は、我々はそれを認識する事が出来ぬという所にある。斯くてバークリはニュートン及びロックの見解を斥け、経験に相対的でない之を認めない。距離や延長は視覚によって知覚されるものではなくて、触覚によって暗示されるものである。時間及び運動に於て、宇宙の秩序者たる神が規範的任務を持っている如く、此処でも又神が規範的役割を演ずるのである。

 バークリに依れば、運動・時間及び空間等に関する、ニュートン及びロックの見解は、抽象的思惟の悲観的な結果を例証するものである。バークリが問題としているのは、新しい解析の与える結果やそれの有用性ではなくて、それの「論理と方法」である。私は君の結論について論議しているのではなくて、君の論理と方法についてのみ論議するのである。……忘れてならぬ事は、私は君の定理の真理性に関心を持っているのではなくて、唯それらに到達する仕方のみ、即ちその仕方が、正当か不当か明瞭か曖昧か科学的か試験的かどうかという事のみに、関心を持っているだけである。

 バークリに於て、道徳可能性は、カントに於けると同様、神・自由・不死の根本的道徳原理に依存している。だがカントの場合と異なるというのは、バークリにとってそれらが根本的・究極的なものであるのは、それらが自然的なものであるからである。これら二つの法則は、カントに於て、対立的な別名なものであったのであるが、バークリに於ては全く一致するのである。道徳的法則が自然法則であるというのそれらが「人間性の最も優れた且つ、特有な部分に相応しい且つそれから生ずる」事を意味する。従ってそれらは同時に理性の永遠の法則である。

 第二に指摘されるのは、斯かる道徳的法則は、神的法則である事である。彼にとって、自然の神的符号から成立しているのであり、そして自然の一般的法則は、神の自由なる意志に基づくものである。「自然は、最も自然且聖的なる能作者に依って、産出された自由なる行為の連続に他ならない」とバークリは云う。バークリに於て、道徳と意志とは不可分な関係を持っている。「行為のみが我々の行為なのである」バークリに於ては精神を除けば全ては観念であり、観念は本質的に受動的であるからである。又観念も意志を決定する事は出来ぬというのは、情念に優越している事が自我の本性であるからである。

 「不安は観念である。それ故能動的であり、従って何事をも成し得ず、従って意志を決定し得ぬ」バークリに於て自我の執意的側面の名称であり、自我と異なったものでもなければ、自我の持っている一つの能力の事でもない。バークリに於て、自然界と道徳界は共に自由である。彼はカントに見られる如き、自然界の必然性と道徳界の自由との間に、鋭い対立も存在もない。我々の正しき行為に、それが正しきものである限り、神の意志に一致しており、そしてその限り真に自然的な行為である。従って、正・不正の区別に前者も自然的・道徳的であるに対して、後者が反自然的・反道徳的である点に存す。

 バークリの善悪の標準は功利主義者と同様、幸福を増進中で、事物それらが、我々自身の幸福を増大したり弱めたりするのに、適しているかどうかによって自然的である。従って善は、我々に幸福を存し、義務は幸福を目指す。各人の幸福は、各人にとっての最高善であり、自愛は各人をしてこの目的を追求せしめる。だが、自愛がその人間自身の幸福のみを求める事を命じるのは、道徳的発見の低い段階に於てだけである。合理的自愛の本質は、世界を「永劫の相の下に」眺めるところにある。それは「単なる自愛と異なって、真の自利が行為の一時的利益の中に存しない」で永遠の幸福の中に存する事を見出すのであり、神の意志するものは『人類の普遍的福祉』である。

 従って人間に対する法である。この実践的命題は「神の命令と看做さるべきであり、従って人間に対する法である」アリストテレスやグロテーィウスが、指摘する如く人間本性の内部には社会的本能が存している。「人類の内部には、社会的生活への自然的傾向乃至、性質が植え付けられている。私はそれを自然的と呼ぶ。何となればそれは、普遍的であり、そしてそれは、人間を動物から区別する所の相違から、必然的に出ているからである。高められた自愛は決して、利他主義と矛盾しないが社会生活に於いて、必要とされているものは、合理的自愛の命令に周到に注意し、従う事である。

 処で、斯かるバークリの倫理説は、我々をして自然的なハドラーのそれを、想像せしめずには置かぬであろう。これら二人の思想家は、その主要原理に於て余りにも、類似し緊密に標榜しているからである。両者にとって理性は、道徳的義務の究極の基礎であり、そして幸福は『最高善』である。又両者に於て道徳原理は同時に又、「自然の法則」であり、そして自然に合致せる行為は、道徳的理想が達成へ導くものである。というのは自然は神によって組織された目的の体系にあるからである。

 両者は、不思議にも類似した言葉で、人間の中に存している社会的生活への、素質の重要性を強調しており、又共に「社会的理想主義」の同じ原理を掲げている。両者が相違しているのは、ハドラーが道徳心理学を提出しているのに対して、バークリは、道徳的経験の心理学的分析を、全然していない点にある。1735年2月1日はバークリ宛に書かれたセッカ―の書簡の言葉「我々の共通の友たるハドラー博士」は、両者が少なくとも知己関係にあった事を示しているのである。

 併し、両者はどちらもその著作に於て、何等他方に言及していない。相互に知己関係にあり、而も倫理説の基本的原理が、斯くも酷似している相互の学説に就いて、何等言及していない事は不思議な事でもあり、注目に値する。併し、その根拠を見出す事は必ずしも困難ではない。ジョンストンは『両者間の類似性は、彼等の数学的環境に依って説明され得るであろう』と、彼等はホップスに対して、共通に敵対して基本的に反対した態度を取った。但し、彼等は多分ホップスの道徳的定例が、『自然法則』であるという、学説の影響を受けているであろう。

 キリスト教の擁護を終生の目的とする、敬虔なバークリがこれ等の点に於て、シャフッベリーに大きな不満を持ち、抗論したのは蓋し当然の事であったろう。真の哲学は、宗教と道徳を必要とする事、又純粋な宗教は、道徳的生活に役立つ事を認めている。そして「徳の完成と頂点は、神の信仰に基づかなければならぬ」事を認めている。シャッフッベリー、何故バークリに依って斯く攻撃されたのであろうか。その一つの理由は、その書き方即ち、彼が嘲笑・冷やかしの文体を以て、宗教に臨んでいる事にあるのであり、他の一つの理由は、彼が自己を「自由思想家」と呼び「自由思想」の弁明で結んでいる事にある。

 バークリの心理学的研究の初期に於て『存在は知覚である』は、私の経験内に於ける存在は、それが持続する限り、事物が存在する事に関する、十分な証明であるかと謂う事を意味する。……斯くして彼がそれを知覚している場合ですら、それが、私の精神内に提示的に存在する事だけに依っては、尽くされぬものであると、謂う事であった。次に我々は、初期のバークリに独我論的見解を帰さず、従って、初期と後期の間に異質的発展乃至、乖離の存在する事を承認しないメッツは、斯かる人々の一人である。

 彼は、バークリに於ける有神論的契機を強調する。「仮令バークリ自身は、彼の観念論の結論として、唯心論を発展させているにせよ、唯心論がその下部構造を築いている」彼は、バークリがその初期見解を決して放棄しなかった事を強調し、そして〝万物を神に於て見る〟という。バークリの基本構想に言及して、次の如く言っている。『全てのものが、その中に生き、動き、存在する』そして他の全てのものが、その中に存続し、それに依存し、且つそれなしには、何物も存在しない所の能動的な意志、動き且つ、思惟する原理としての精神の根源・現象は、確実にバークリの思惟の根底に横たわっていた。

 「神は従って、我々が知覚する所の全てのものに関する観念を、自らの裡に有しているのである。併し、それらの神の存する観念は、我々の有する観念とは異なっている。第一にそれらの観念は、如何なる熱情を伴っていない。第二にそれらは、受動的に受け取られるものではなく、能動的に産み出されているものである。「こうした、バークリの初期の論著作を比較・検討して見れば、彼の原理が結局のところ、その本質的性格に於て、一貫して変わっていない事が明らかになるのである。

 バークリの著作の中に、二つの哲学があるのではない。あるのは二つの側面である。即ち古典的側面とローマン的側面とである。又、我々は「哲学的評注」の中に見出される倫理思想、特に幸福に関する見解が、後になって、理性的契機重視の方向に発見せしめられているのを見出すのである。例えばバークリは、次の如く言っている。「感官的快楽は最高善である。之は偉大な道徳の原理である。之が一度正しく理解されるならば、全ての教説、福音書の最も厳しい教説ですら、明瞭に論証されるであろう」と。

 ウイスダムは、「シリス」の主題たる万能薬〝タール水〟の背景にバークリの半生に渡って、悩まされた闘病の存在している事実を重視している。ストックはバークリの闘病が「神経的興奮症」であり、座りがちな生活がこの病気を強化した事を重視している。彼がこの病気に、何時頃から悩まされ始めたかは明らかでないが、可成り初期以来のものである事は明白である。1715年には,大陸旅行中にバーシバル宛の書簡に於て「私の病気の下痢は、約六週間継続した後、目下私を残して去った所です」と報告している。

 ウイスダムに依れば、バークリの病気は、彼が三十歳頃から始まり、その死に至る迄続いている。この病気に依れば「下腹部がキリ~痛む病気」痛む病気と説明されている。同辞書は更に詳しく此の病気を解説して「粘膜や腸の腺に炎症を起こし、キリ~痛む苦痛を伴い、粘液と血の出る排便を伴った病気」と述べており、ウイスダムは、バークリが腎臓病乃至腸の病気、或はこの二つの病気を同時に兼ねていたであろうと、推定している。そしてウイスダムは、万病薬としての〝タール水〟に対するバークリの関心が、彼の教区民を救おうとする動機に依って、促進された事を指摘している。

 バークリの物質拒否は、その真相を確かめることなく、誤解され、曲解され、非難され、嘲笑された。バックスターがそうであり、リードがそうであり、批判哲学者・カントですらそうであった。だが、バークリが拒否した物質が如何なるものであったか、我々は今や之を知っている。だが、彼は如何なる意味に於いても、可感的実在界としての、自能的物質界を否定したと云われる事は出来ぬ。逆にそれらの断乎たる肯定と確立が、彼をして実体としての物質の断乎たる拒否を、不可避的ならしめたのである。

 従って、可感的事物の存在を疑わしきもの足らしめ、その実在を奪い、あるが侭の「輝き音を発する世界」を一般大衆から奪い去ったものであるとすれば、それは他ならぬ表象的観念理論の代表者たるデカルトであり、ロックであり、所謂「哲学者」達であって、バークリではなかった。実際、バークリ程大胆に疑うなき眼を以て現実を直視し、可感的事物を自らの手で直接に把えた哲学者は嘗ていなかった。彼は所謂、観念論者でもなければ、所謂、経験論者でもなかった。

 彼は、デカルトの如く、精神の考察から事物を導き出したが、併し、バークリは事物に考察から精神を発見した。彼の第一の関心事は、不可避の可感的事物であり、その拠り所は具体的・現実的経験であった。この点に於て彼は紛れもない、正真正銘の経験主義者であった。だが、彼は所謂経験論者でではなかった。何故なら、彼の基づいている経験に、精神から切り離され対象化され、平準化された経験ではなくして、飽くまで内に深く能動的精神を蔵した生動的経験であるからである。

 さればこそ、躊躇することなく孤独逡巡する事なく、素直に経験の指示する所に従って、直接に万物がその内に生き、動き、存在する所の神へ上昇するのであり、而もかくする事に依って、彼は決して「彼の経験」から絶縁する事もないのである。バークリに於て可感的事物を捉える事は、第一にそれらを知覚する有限精神を見出す事であり、斯くして万物を神に於て眺める事であった。そしてそれが唯単に、可感的事物の存在の原理たるのみならず、知識の原理でもあり、神の存在論証の原理でもある所以は此処にあったのである。

 だがこの事は、非物質論に神が哲学冒険に依って、初めて発見される事を意味しなかった。逆に非物質論は、人々が前以て何等かの仕方に於て、神について教えられ、そして、よし、判然としてゞはないにせよ、経験生活の裡に神を持ち、何等かの仕方に於て、彼方に漠然として知られているものを「哲学的論証」に依って、判然たる自覚に齎し、我々がその内に生き、動き、存在する所の存在の根底を、我々の眼から覆い隠しているものゝ清操作業であり、粛清工作であったのである。

 哲学は、根源的なものに関わる学であり、究極的であると云われる。若しそうであるとすれば、我々人間的存在を含めて、一切の存在の根源とその意味を問う事は、哲学にとって当然の仕事でなければならぬ。バークリは斯かる不可解にあるものを、思惟し得る・解し得るものへ転じ、一切の存在の根源を開明すべきものとして、無限なる能動的精神を見出した。一切の彼の哲学が、究極に於て、神の存在証たる所以は此処にある。

 だがこの事は、彼の存在論証が神学者達の、所謂神の存在論証を神学者達の手から普く、一般大衆許に解放し、広く人間存在の広場に於て全ての人々が、共通に感心し、その解決に当たるべき哲学的問題として、取り挙げた点にある。非物質論に於て、神の存在が問う事は、我々存在の根底を問う事であり、我々の生活がそれに依って支えられ、それを予想する事に依って、初めて可能となるその根拠を探求(求)することである。

 換言すれば、彼に於て神を求める事は、よし、一時的。局部的には、我々から混乱に陥る事があるにせよ、究極に於て、我々が感官を信じて、一切の人間的な営みがそれを予想する事に依って、初めて可能になり成立し得る。宇宙の究極的合理性の根拠を探求し、これを解明する事であって、我々はバークリの神の存在論証が含んでいる意義の中、少なくともその最も重要なものゝ一つを、此処に見出し得ると考えるのである。

附録   カントとバークリ

(H・W・B、ジョセフと新論を中心として)

 「純粋理性批判」に対する最初の批判たる、カルヴェ・フェーダーの批判が、カントの批判哲学の根本精神を全く無視し、之をバークリの観念論〔バークリが観念論者ではない事は、既に我々が論証した所である〕と、無造作に同一視した事は有名である。先験的観念論乃至、批判的観念論は、カントにとって哲学界のコペルニクスを以て、自任せしめたものであるだけに、斯かるバークリの「独断的観念論」との同一視は、カントにとって最も耐え難い所であった。彼がこれに対して、激しい抗議をしたのは、蓋し当然の事であろう。

 本稿は、その主部に於てジョセフの立場から、カントとバークリの理論を比較・検討したものである。若し、実在という言葉を知覚する精神から、独立に存在する事物を意味するものとして、解するならば、バークリ程断乎としてこの言葉を斥けた者は嘗てなかったであろうし、そして又、カント程確信を持ってバークリを論破したと公言した者は嘗てなかったであろう。だが、それにも拘らず、我々は近世哲学上、認識のコペルニクス的転換や意志自由の確立の問題を通じて、バークリ程カントに先鞭をつけ、酷似した役割を演じた思想家を知らぬ。

 外の場所に於ける、その驚くべき思索の精緻さと、対照的に「観念論々駁」程カントが、多くの矛盾と不整合を蔵している者を知らぬであろう。「観念論々駁」が、特にカントが第二版から省略した、第一版の諸節と矛盾している事は、周ねく知られている。或る人々はその中に根本的理論、即ち、我々の知識は物自体に関わるものではなくて、その現象に関わるに過ぎぬという理論の放棄見出したであろうし、他の人々は、その中に「物質的自然が独立して存在する事についての実在論的理論」即ち、批判哲学に其れの真実の独創性と価値を、与える萌芽的観念の成熟を見出すであろう。

 カントの定立というのは、斯うだ「私自身の存在についての単なる、併し、経験的に限定される意識は、私の外部にある。空間中に対象の存在する事を証明する」。これに就いてカントは、次の如く証明する「私は、私の存在を時間中に限定されたものとして、意識している。あらゆる時間限定は、常に知覚に於ける或る持続的なものを前提とする。併し乍らこの持続的なるものは、私の中に存在するものである訳にはいかぬ。何故と云うに、将しく私の時間に於ける存在は、この持続的なるものに依って、初めて限定される事が出来るからである。

 それ故、この持続的なるものゝ知覚が可能となるのは、全く私の外なる物に依るのであって、それの単なる表象に依るものではない。従って私の時間に於ける存在は、私が私の外に於て知覚する処の現実的なる物の存在に依ってのみ可能である。扨て、時間に於ける〔私の存在の〕意識は、この時間限定の可能性の〔制約の〕の意識と必然的に結びついている。即ちそれはそれ故、又時間限定の制約としての私の外なる物の存在〔の意識〕と必然的に結びついている。換言すれば、私自身の存在の意識は、同時に私の外にある、他の物の存在の直接的な意識である。

 右の証明は、如何に解せらるべきであろうか。最初の「私は、私の存在を時間中に限定されるものとして、意識している」と云ふ、文章は余り問題を含むものとは思われぬ。だが次の文章、「あらゆる時間限定は、知覚に於ける持続的なるものを前提とする」の解釈はそう単純にはいかない。「知覚に於ける或る持続的なるものを予想する」という事は、別の言葉で言えば「持続的に知覚される或るものを予想する」乃至「或る持続的なるものを知覚する事を予想する」という事であるが、カントはこれに因って何を意味するのであろうか。

 それは、「私の中に存在するもの」は、私が意識する自我の或る状態、即ち私の内観の或る現象を意味するのではあるまいか。此の文章は、持続的なるものが斯かるある事を排除している。事実、若し排除しないとすれば、それは単に或る一つの意識が他の或るものゝ意識を予想するが如き、一つの事項に過ぎない事になるであろう。だが、では何故、持続的なるものは、その持続的なるものゝ、如何なる状態でもない所の自我そのものであってはならぬのかであってはならぬのか。何故それは「私の外部にあるもの」でなければならぬのであろうか。これが決定的な点である。

 カントは、バークリへ鋭く対立した。併し若し、我々が両者の見解を比較・考察するならば、我々は両者の間に以外にも多くの一致性の存在している事に、気付くであろう。例えばカントが第一版の「論逞」に於て「空間は、それの凡ゆる現象と共に、表象であって、私に於てのみある事は勿論である」と云っているに対して、バークリが「シリス」に於て、「実在的な真実の原因を洞察省とする人々は、世界が魂に依って包含されているものとして、語ろうとするのであり、魂が世界に由って包含されているものとしては、語ろうとしない」と、云っている如きそれである。

 バークリは事物の実在性は、我々の観念の備えている秩序及び結合関係の中に求められる、我々自らの意思に依る産出と無関係な「感官の観念」は、実在物であり「想像の観念」は非実在的である。「自然哲学者達は卓越している、というのは、彼等は自然の創造者に尊守されている法則や、規律を多少知っているから」(此処でバークリが「尊守されている」と云うのは、人物の精神内に秩序正しき観念を惹き起こす過程を通じて、尊守されているのが、気付かれているという事である)彼にとって、唯一の実在的原因は精神である。

 バークリに於て、「観念」という術語が「事物」を表わす、術語である事は、注意せねばなるまい。観念と観念の間を貫く術語が、実は事物と事物の間の秩序であり、実在的な自然界を貫く法則性に他ならぬ。自然界は、それを貫通する秩序性の故に、其の侭『符号の組織』であり「自然の創造者の言葉」となる。バークリ的には「世界」は飽くまでも「意味ある」「暗示する」「解釈し得る」〝符号の体系〟なのであり、決して無意味な盲目的な渾沌たる迷悟ではないのである。

 想像に依って、作り上げられた観念は生気のない、不明瞭なものです。その上、それらは、全く意志如何に掛かっています。然るに感官に依って知覚された観念、即ち実在物というものは、より生き~した明瞭なものです。それらは、我々と相違した精神(神)に依って、(我々の)精神内に刻み付けられたものでありますから、我々意志如何に掛かっているものではありません。それらが生き~した自然的なものであるにしても、それらは連絡を持っていないし、又我々の生活の前後の処理とも一致していませんから実在から区別され得るでありましょう。

 「約言すれば、貴方があなたの考案に基づいて、どんな方法に依て、事物を妄想から区別されるにしましても、同じ事が私自身にも、妥当する事が明白であります」と、処でカントは、斯かる原理を精神から独立せる自然、物自体に就いて主張する事を強く斥け、それの真理性を飽く迄現象界に限定する。というのは、現象的自然のみが、悟性によって要求された綜合の原理に保証されるのであるか。カントに依れば、これ等の原理は、時間・空間・の関係に依って、滲透されている多様性の中に示されている。

 又は、時間・空間に於ける諸関係は、理解する所の同一の精神に依って、感官の総合の中で成された、働きの結果であるが故に可能であるとされる。若し、感官的なものが時間・空間に於ける関係を示さぬとすれば、それは感官的なものですらないであろうし、性質も分量も示さぬものは、感官的なものですらないと、我々は云い得るであろう。否寧ろそれは我々にとって、全然無意味なものと云わねばならぬ。「範疇」(カテゴリー)が決定すると、云われる所はは此処にある。表象は内官の対象である。併し、我々は如何なる物にせよ、若しそれが可能的経験の法則に従って、他の現象とか対象と結合していないならば、之を実在的なものとして理解しないのである。

 扨て、時間と空間に於ける、あらゆる感官事物の配置は、時間的的秩序及び、空間的秩序と一致しなければならぬが、併し、時間・空間はそれらの中で、秩序付けられている条件の種類によって、本質を規定されている。他の秩序形成とは異なる。従ってこうした秩序形成に於ては、或る条件が一つ以上の方法で、同種類の他の条件に対して成す秩序付けはどこまでも、形式的条件に止まる。カントに於て、物自体は理論・理性の限界概念であり、固有な意味に於ける実在は、専ら現象界に限定されるのであるが、それにも拘わらず物自体の存在の許容された、「存在即知覚」の立場を推進するバークリに於ては、罹る不可知なXの存在は、到底許されない。

 否寧ろ、罹る不可知なX乃至「物質的実体」に対する断乎たる戦いこそ、彼の哲学の出発点であったのである。我々は次に彼の考察をしなければならぬ。カントに於て、精神と物自体に分割された機能は、バークリに於ては能動的精神としての神に帰せられる。バークリに依れば、真実の固有な意味に於ける原因は、精神的原因以外には存在しない。だがこの事は、有限な精神があらゆる観念を算出する事を決して意味しない。成る程有限なる精神は、知覚の主体として観念を成立せしめるのであるが、併し、有限な精神の産出し得るものは「想像の観念」に限定され、「感官の観念」乃至「事物という観念」は、神によってのみ有限な神内に産出されるのである。

 全ての対象は、永遠に神に依って知られている。乃至同じ事であるが、神の精神の裡に永遠の存在を保っている。だが以前には被造物にとって、知覚出来なかったものが、神の命令に依って、被造物にとって、知覚できるようになる。偏在なる永遠なる精神が存在する……この精神は、あらゆる物を知ってもいるし、理解しているのであり、又それらを神自らが制定し、且我々に依って自然の法則と呼ばれている仕方と法則に従って、我々を見るようにして呉れるのである。

バークリの余禄

 バークリに於て、神は、宇宙の合理的秩序の究極の支持者である。彼にとって、観念間に見られる秩序と慣性は、此の侭「自然の創造者」自らを啓示する「言葉」される。神の全知は有限な人間知とは物質的に異なり、感官の媒介を必要とするものではない。否、寧ろ有限な人間知の制約から、生ずる不可避な裂け目を埋め、人間の営みを究極的に保証する事こそ、神の意図とならなければならぬ。その出発点以来、彼の哲学を貫いているものは、、斯かる世界の合理的秩序の有利者としての、神に対する深い確信であった。それは、彼の哲学そのものゝ根本的前提であり、彼の所謂「共通信念」乃至「常識的確信」の核心を成すものであった。

 彼の哲学の、感覚論的現象面を一歩前進さえすれば、当然(ヒューム)懐疑論に突入すべき筈の彼が、自覚的にはそれとは全く逆に懐疑論の克服を目指し、何等疑わなかった所以のそのものは、実に此処にあったのである。「食物の養い睡眼は休養させ、火は我々を暖めること、種まき時に種を蒔くのは、収穫を刈り取る為の方法であり、一般に赫々の目的を獲得する為には、赫々の手段が資する事等、全て之らの事を、我々は自然の定則を観察する事に依って、知るのである。若し子の定則がなければ、我々は不確実と混乱に陥り、大人は生れたばかりの幼児の如く、身の仕事に困るのである」。だが、同時に茲にはバークリの当面する困難が、備わっているのであるまいか。我々は一歩進んで、バークリとカントの持つ、其々の特質を考察せねばならぬ。

 カントはこの点について、極めて有利な立場に立っているし、そして又、それこそ彼の誇示する所以でもあった。何となれば「範疇」は、我々全てに於て、一なるものである。精神は覆われて結合の中で、範疇と一致して行くのであり、そして常識というものゝ始まりから、精神の表象に秩序が存しているのはこれに因るのである。だから例え範疇の考察に際して、精神がそれに基づいて、自ら無意識的に働いてきた所の方法を意識するようになったからとて、何等驚くに足らぬのであろう。だが、別の観点からすればバークリの方がカントより、有利な面を持っていると云えよう。カントは因果関係の原理や、その他の範疇が、あらゆる可能的経験に妥当する事を、証明したと公言する。

 だが「力学的範疇」は、之とは異なる。何故なら此処では確定する種類の感覚的事物が、時間及び空間の関係の中に置かれる事が要求されるのであり、感覚的事物が時間及び空間の関係の中に、置かれる事が要求されるのであり、感覚的事物が、単に時間の秩序形式に一致するというだけでは、十分でないからである。然るに感覚的性質は「与えられてあるもの」であって、何等精神の綜合的活動に基づくものではない。それ故「与えられているもの」に対して、責めを負うべき要因Xが精神に対して、呼応的関係にあるのでなければ、斯かる物は不必要になるであろう。この点についてカントは大きな困難を包蔵していると云わねばならぬ。

 カントとバークリを最も鋭く対立せしるものが、その先験的論理主義と経験的論理主義にある事は、周ねく知られている。確かにカントの「意識一般」は、バークリの「知覚する精神」と鋭く区別せらるべきであり、批判的観念論とカントの所謂「独断的観念論」との「区別」は見失わるべきではないだがそれにも況して我々は、両者の体質的な提携関係は、バークリが彼の所謂「観念」は「事物」と同義語である事を強調している事実、更に彼の所謂「精神内に存在する」か「精神が理解する」とか「精神が知覚する」という意味であり、又それが「あらゆる精神」という意味である事と指摘ている事実を省察する時、より深いものである事が知られるであろう。

 バークリに於て、有限なる人間知の裂目を埋め、世界に合理的秩序を賦与し、且之を指示するものは「普遍的能動的精神」である。端的に云えば、バークリは有限なる精神に対して、要求する所が余りにも少なく、有限なる精神に本来属すべきものを神に帰したと云うべく、カントは彼の立場に於て獲得し得る以上のものを、有限なる人間精神に要求したと云うべきであろう。だが、其処には有限なる人間精神に要求したと云うべきであろう。其処には有限なる人間的精神と、無限なる神的精神との間に於ける勢力範囲と、領有権に関する見解の対立はあるにしても、両者の哲学の目指す原本的思考そのものゝ対立はないのである。

 カントに依って、確立された業種の意味は大きい。だが、同時に我々はバークリが、カントに重要な先鞭を付けている事を見過してはならない。バークリに依って成し遂げられた認識のコペルニクス転換に就いて、ジョンストンに斯う言っている。「実際バークリは、知識上の思惟する主体の重要性を発見した、近代最初の哲学者である。彼以外の哲学者が一般に精神を外界に依存して、その存在を得ているものと主張した。認識の領域に於ける、斯かる両者の提携関係は、意志自由の確立の問題を廻る、両者の呼応的関係を提携している事は、最早指摘の必要を見ないであろう。

 両者の関係は意外に緊密である。若し、フレーザーの云う如く「彼が踏んでいる大地の実在や、彼が取囲まれている人々の実在」を否定するバークリ観が、既に過ぎ去った時代のものとされるならば、同様にして誤れる一面観に立てる、カントのバークリ観に基づいて、両者を「独断的観念論」と「批判的観念論」として引き離し、分類する事も最早過去のものと云わねばならぬ。「近代精神の発展に於て、両者の占める位置の正しき把握の為、何よりも必要とされるものは、分離よりは寧ろ結合であり、より適切とは、両者を分離すると共に、一層深く根源的に結合する事であると云うべきであろう。ともあれ、其処にはゲーニヒスベルヒの哲学者をして、クロインの敬虔なる監督を「独断的観念論」として、瞰下せしめる一方的優越性は、断じて存在しないのである。

 著者の哲学研究は、カントから始まった。その後ヘーゲルやディルタイやを読んだり、バルト・ブルンナー、ゴガルテン等の神学的なものに不毛彷徨をした後、戦後またカントを読み始めた。カントを読んで行くうちに、フト「純粋理性批判」第二版が出版される。直接の動機となったカルヴェ・フェーダーの批判、卽ちカント哲学はバークリ哲学の焼き直しに過ぎぬと謂う批判と、之に対するカントの回答とも云うべき、第二版に附加された、「観念論の論駁」及び「プロレゴメナ」に於ける、バークリに対する批判に注意を惹かれた。

 バークリを本格的に読み始めた動機は、此処にあるが、他面彼に対する関心に、更に拍車をかけたものは、且全く誤解されている情である。彼の著作を読んで読んで行く中に、カントがバークリを全く誤解している事に、益々彼の哲学に惹かれて行った。だが、彼の哲学に於けるヒューム的なものは、彼に於ける一側面でしかなく、彼の究極の関心事は、精神の能動性の確立と、それを媒介とする神の存在論にある。而も彼は神の存在論証を、狭い限定された宗教的領域の問題たる事から解放し、全ての人間が関心し、其の解決に当るべき人間存在の根底の解明として、広く哲学の問題として取り上げている。

 これは著者にとって、最も大きな魅力となった。生来宗教的なものへの関心を持ち、如何にして自らの生存をこのコスモスに於て、位置付けるかの問題に悩んでいた。著者にとって正しく、決定的な問題に直面せられた事を意味するからである。所で我が国に於て、バークリを研究が殆んど手を付けられない侭に放置され、その名前の有名であるのと反対に著しく歪められ、誤解されたバークリ観が優勢であった理由は何であろうか、ロックは認識論の祖として、ヒュームはよし、カントのお添え物にしてにせよ、研究されている。

 然るに、英国の三大思想家の一人として、そのユニークな思想的深さが成されていなかった事は、誠に奇異な不自然な事である。その理由の一つは、終戦時まで我が国に於て、哲学者の主流がドイツ観念論の衝動者達が、物質批判をレーニンの「唯物論と経験批判論」に基づいて誤解し、マルクス・レーニン定義の聖像擁護と、バークリの物質批判が本質的に両立し得ない者と誤解し、真実のバークリの著作に触れることなく、歪められた。伝説的バークリ像を普及せしめた事と結び付いていると思われる。これ等は文士達によ依って、でっち上げられた狂える夢想家としてのバークリから一歩も出るものではなかった。

 1953年行われた、バークリの二百年記念祭は、欧米各国に於てこの思想家に対する、新たな関心と注目を起す、大きな契機となったようであったが、我々に於ては殆んど注目に値する程の関心を惹き起こさなかった。だが最近は、1957年ルース及びシュサップルによって「バークリ著作集」が、完成されて以来、バークリに対する関心が高まったように思われる。この事はカントの犯した誤謬を乗り越え、彼の目指した真、真実の批判主義を打ち立てる上からも、歪められたマルクス・エンゲルス主義の聖像を越えて、真実の科学的精神を確立する上からも、好ましい現象と云わねばならぬ。若し幸いにして、この貧しき著作がこうした機運を促進する上に、何等か与しうるとすれば著作の喜びはこれに優るものはない。

バークリの終焉

 最後に、茲でバークリの終焉の模様を、記して置かねばなるまい。バークリの死は、1753年1月14日夕方、何等の予告なしに突然に而も、静かに訪れた。家族はこの日の夕方お茶飲む為、炉辺に集まっていた。バークリは寝椅子に寄り掛かって居り、妻は彼の方に向って聖書読んでいた。嫁のジュリアと息子のジョージも其処にいた。ジュリアが一杯のお茶を差し出した時、彼女は父が死んでいるのに気付いた。ジョージは臨終に就いてこう語っている。

 「彼が私の母・妹及び私自身と腰を降ろしていた時、突然、そして少しの去る不死の予告もなしに、彼は永遠の報酬の喜びへ。移って行きました。あらゆる可能な手段は直ちに取られたのでありますが、それ以後生の徴候は全く現れませんでした。そして医師は、その死の原因を定める事が出来ませんでした。」――それは突然として襲った瞬間的脳溢血であった。先の王陽明が亡くなった時は、弟子が傍らで最後のお言葉をと、言った時に王陽明は、「わが心光明何をか云わん」と言ったそうだが、死に様は違っても、心魂に流れているものは変わらない。


國乃礎 鹿児島県総連合会

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